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二人のミシェル [自分への手紙]

ボクが 影響を受けた二人のミシェルは
ともに 16世紀のフランス国で
あのカトリーヌ・ド・メディチの寵臣でもあった。
一人は 『エセー』という書物を著し、
一人は 『諸世紀』という四行詩(カトラン)集を残す。
ミシェル・ド・モンテーニュは 懐疑主義とか
判断停止(エポーケー)やら かなり堅苦しく思考作業をした
哲学者と思われている。
パスカルやデカルトは モンテーニュの『エセー』に対抗し
乗り越えようとして 『パンセ(考えるの意味)』『方法序説(試論構築)』を
著わした。このお二方の御蔭ですっかり フランス演繹法哲学の魁と
わがミシェルを社会科の教科書で教わるからだろう。
だが 『エセー』をお読みになれば お判りになることだが
ミシェエル・ド・モンテーニュは 38歳のとき 得意の乗馬で
思いもかけず落馬し 今で言う臨死体験をし、その数年前に
親友を亡くしてもいたので 彼は 漸く 死の床から生還した直後
「人間はいつ死ぬかわからない。今こうして生き返った自分の人生は
おそらく おまけのようなものだ。この際 わが友や家族に
私という人間は どのような人間だったかを 書き残そう。
画家が自画像を描くように 私もありのままの自分を徹底的に
書き残そう」 という決心をし 結局60歳で亡くなるまで
何度も書き足し 何度も推敲した。 その執拗さは 数世紀後、
あのカール・マルクスが倣って 『資本論』を執拗に書き続けたほどである。
父親の意向によって ミシェル・ド・モンテーニュは たまさか 特殊な教育を受けて育ち、
ラテン語が 真の母国語になってしまった方である。
16世紀当時 ルネッサンスと呼称される時期において
ローマカトリック教会による思想統制下の西欧で
最大の叡智はギリシャ語やラテン語で書かれた古代ギリシャやローマ帝国の
時代に書かれた書物にしか存在しなかった。
そして最高の話し相手・ラ・ボーシェを突然失ったミシェル・ド・モンテーニュには
対話する相手は 最早 それら古代の言語で記された書物だけだったのだ。
横道にそれるが ソビエト連邦の思想統制下にあってアラビア語学者だった父を持つ
アンドレイ・タルコフスキーは 父親の訳したイスラム世界の哲学や美学を
幼い頃から触れることができた。その御蔭で 独自の世界観を形成することになる。
そして映画は アンドレイを熱愛し アンドレイも彼流に映画を愛した。
やがて 『鏡』という映画をタルコフスキーは創ってしまう。
所詮人間が拵えたにすぎないはずの映画が突然肉体をまとって
その裸身を彼にだけ カメラという機械の前で晒すのである。
アンドレイ・タルコフスキーは 意図せず その奇蹟の瞬間を映画にした。
彼が用いたイスラムの美学による黄金律に拠ったアングル(画面構成)は
確かに あのレオナルドダヴィンチが 同様にイスラム文化から学んだものだったけれど・・・。
父と息子 二世代に亘る結実とも言える人生もあるのだ。

もう一人のミシェルは ミシェル・ド・ノストラダムス。
そう 「1999年 恐怖の大王が空か降ってくる」で 預言者として我々はその名を知り、
その預言は「当たらなかった」と 蔑む方々が 多い。いかがわしい預言者・・・・。
しかし ボクにとっては あの預言詩は 大当たりだったと確信している。
あの四行詩(カトラン)の読解には あの古いフランス語にあってしても不可解な
語法が 一箇所だけ在る。Avant Apres 四行目に出てくる。Befor Afterということだが
フランス語にしろ英語にしろ 慣用句としての意味は無い。
脚韻を踏んで 後世の人々にも理解可能な種明かしを明確にしていながら
頭韻を示す詩法を用いないで 突如投げ込まれた このありふれた語句の重ねには
肉眼では見えないモノを 霊的な目によって見渡す力の持ち主特有の
鍵が用意されている。現代でも 電子メールをのぞき見る輩から守るために
暗号化をする手段が 用いられるように 霊的な目を持つ見者は 暗号を解読する
鍵を そっと忍ばせる。
 NASSAが 1996年に72ポンドのプルトニュウムを搭載したカッシーニ号という
土星探査機が 一度 地球に大接近して 振り子の原理のようなスウイングバイ航法とやらで
土星に向かわせる軌道に弾みをつけた。それは ノストラダムスの『諸世紀』第十章72篇の
詩として我々が良く知る。1999年の七の月とは 太陽暦でいえば8月である。
丁度 地球を中心にして 月や冥王星を含めた太陽系は 十字の形で並ぶのが
1999年の8月18日であった。そしてNASSAもその日 そういう十字形をするのを
選んで カッシーニ号を 1996年に発射したのも事実である。
その航法の乱暴さに 1996年当時 多くの人々が 土星探査機発射に反対デモをしたが
日本では余り話題にならなかった。「プルトニュウムを72ポンドも搭載したロケットを
地球スレスレにスウイングさせて軌道に乗せるなんてどうかしている!」
そう叫んだ人々の中には 勿論 ノストラダムスのカトランを読んでいた方々で
きちんと意味を知っていた方々がいるのは当然であった。日本では概ね知られていなかった。

 フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグルェル物語』を翻訳した渡辺一夫先生は
岩波文庫の『フランス文学案内』で 不肖の教え子?(東大の仏文科卒の五島勉)が
ノストラダムスをまがまがしく紹介する前に ルネッサンス期の作品紹介の章で
ノストラダムスも解説している。 千里眼と謳われた詩人と言われるが 
どうもカトリーヌ・ド・メディチにとって当初は 腕利きの医者として召抱えた人物。
そう。 ミシェル・ド・ノストラダムスは 若き日 ラブレーも医学を学んだモンペリエの大学を
卒業した後に ペストで壊滅寸前だった村を幾つも救った名医だった。
ねずみをその病の原因とし、その駆除と死人の火葬と石灰による埋葬を指示した。
16世紀当時 まだペスト菌どころか 細菌学なんてものがなかった時代に
ノストラダムスは その病気の原因を きちんと見据えてパンデミックに陥らないよう
当時の科学的な知識で為しうる至高の防御策を打ち出した。
彼が千里眼だったから・・・・いや 確かに 若い頃から 時世を飛び越して
仲間内の行動を預言したりするクセがあったと ある評伝にはあるけれど
寧ろ 若くして得た名声が その後 自分の妻子を ペストから護れなかったという
悲劇によって 汚名に変容し 放浪と謎の十数年の歳月において、彼が自らの意志で
霊的な目を育成したと言う方が 正確らしい。
そしてボクは こちらのミシェルからは 見者の影響をこうむることになる。
アルチュール・ランボーは「見者の手紙」という不思議な作品?を残している。
映画の到来を予知した天才詩人の預言だとする人もいるが・・・違うだろうな。
ランボーと同じ齢に 見者の育成法を著したオーストリア人がいる。
ルドルフ・シュタイナーである。彼は省みられる事のなかったゲーテの自然科学研究を
現代の科学者として分類・分析する仕事に従事し やがて 見者の道に入る。
中学時代はランボー熱にうなされた。しかし 渡辺一夫と二人のミシェルの御蔭で
その熱病からは 解放された。
それはさておき。
山田風太郎が 大いに筆を振るった明治時代シリーズがある。
書き方は 個人年表を数人分拵えて その年表を随意並べて眺め、
この人とあの人が たとえば 此処で出逢っていても不思議は無い・・・
となると 歴史的事実として後世に伝わってはいないが
こんなエピソードは 在ってもしかるべし・・・というさすが推理小説から
出発した人らしく 大いに推理し、漱石がコナンドイルと殺人事件を
解明しあったり 8歳の夏目金之助少年が 3歳の樋口奈津と出遭い
後年 高利貸しの妾になりそうなった樋口一葉を お互い作家同士の
語らいでたしなめ 励まし いくばくかの金子(きんす)を用立て
事をおさめさせる。(実際漱石という人は 石川啄木に何度か病床からでも
奥方を遣わせて 壊滅的な石川家の家計を助けている。当時
啄木の才能を誰も認めていないが 漱石だけは認めていたらしい) 
もしも 今後 ボクが 生きて、小説を書いている人生を歩んでいたら
山田風太郎先生に倣って 二人のミシェルの年表を綿密に拵え
二人が 遺伝子について カトリーヌ・ド・メディチのお城で
ひそひそと話し合う 小説を書いてみたいものだ。
『エセー』には 未だ メンデルの法則すら知られていなかった時代なのに
わがミシェルは 「父親と息子が 似ていることについて」という
試論を展開している。その中で 不思議と 当時の人間が知っているわけもない
事柄を チョロリと書いている。
「はははぁん ノストラダムスから 何か教わったねぇ・・・・」
そう推理して遊ぶのは とても愉しい。

ここからはある意味での私の態度表明。
伊勢白山道さんのような生まれつき?霊的な目を持つ方は
確かに いらっしゃいます。天命庵の大徳寺さんも そうでしょう。
そしてミシェル・ド・ノストラダムスも。
但し その素質を後天的にどのような修養を為さって確固たる霊眼として育成されたかが
たいそう 問題になります。伊勢白山道さんは ある存在を明確に指導者として
書かれています。大徳寺さんは思春期における家族の一大事が ご修行ともいえましょう。
さて しかし ボクは ここで 判断停止を致します。
肉眼で見えることしか信じないという唯物論には 勿論 ボクは与(くみ)しません。
しかし 霊的な目による視界は やはり 敢て見えないとする慈悲の為せる技が
ございます。この地上時空での我々の致すべきは 複雑怪奇な霊なる存在の
因縁にいちいちせずとも 目の前にある諸問題と如何に向き合い
目に見えぬ存在への畏敬の念を保ちつつ、各々の因縁、ご縁に素直に
そして勇気を持って 純情健気に立ち向かうしかございません。
エイトさんがコメントで教えてくださった 伊勢白山道さんの
『無批判な妄信的信仰者よりも よくよく考え、知的な無視論者の方が神に近い』という言葉に
賛同いたします。よって 私は 二人のミシェルからの影響に 感謝したい。

いやはや この物質界とて百鬼夜行どころが百鬼昼行の態であります。
なにせ デジタルという肉眼では 感知しえないモノに頼り切る時代に我々は生きねばならぬのです。
遺伝子工学も 牧歌的な季節を通り抜けて それこそ霊的存在を垣間見てしまい
毎夜 厭な寝汗をかきながら 研究に励む方々も いらっしゃいましょう。
そんな時は 『エセー』とか『諸世紀』を紐解かれると 宜しかろうと存じます。
あとは やはり モーリス・ラベルの『パバンヌ』をお聴きなさいませ。
ラベルは交通事故で頚椎を痛め その後遺症から不眠症になり
あの曲を自分を癒すためにも書いたのです。そういう作品は やはり癒す力があります。
全く絶望するしかない体験(ドレスデンの空爆と一番目の奥方との理不尽な離婚)をしてしまったカート・ヴォネガットの『ジェイル・バード』とか短篇小説集『モンキーハウスへようこそ』も作家自身が自己治療として
書かずにいられなかった作品です。
そしてチェホフの短篇集は どれもが 眠られぬ夜を越えさせてくれる舟になります。
医者として 弟として 家族が見放した結核の画家の兄を看取りながら
学費と兄の薬代を捻出するために ブルジョワ階級向けの娯楽雑誌にコント(笑い話)を書くことから
作家になったチェホフの作品は やはり 美しい。そして 優しい。
また チェホフを踏襲したいと映画作家になったタルコフスキーの『惑星ソラリス』では 最後の方に
科学者がむせび泣く。
「人類を愛せないのに・・・なんで 我々は宇宙の果てで科学者として存在するのだ?
科学に一体 何の意味がある」 「人類は 結局 恥を忘れた時 滅びる・・」 
その泣き言に腹を立てたもう一人の科学者は 「立て!泣くのはやめるな だが 立ってくれ」と
懇願します。まぁ やはり 『鏡』の方が ボクには よいのです。
映画が 肉体をまとって そっと立ち上がり 振り返り 微笑む瞬間が 観えるから・・・。

久しぶりに 長い文章を書いてしまいました。ここのところ 企画書ばかり書いていたので
ついつい長々しくなってしまいました。
「あなたがハートを持って生まれてこなかったのは それは あなたのせいじゃない。
でも 生まれつきハートを持って生まれてきた人たちが信じたことを
あなたも信じたのだから やはり あなたはいい人なのよ」
ヴォネガットの『ジェイルバード』の一節です。 この一節をボクに教えてくれた(トーマス)里ペンに感謝をし
この文章を締めくくります。 ハイホー! そして里ペン 今、君の人生は 「わりと・・・よきかな」?

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