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フェルメール展と永日小品~金と心 [小説]

昨日は 浅草の観音様へ 写経供養会に侍る。
五色のお手綱は 五色一握すべきところ
一色に一人づつ連なり そこで祈願に励む愚か者・・・。
ご祈願したけりゃ ご本堂に上がって ゆっくり拝むがよかろうに。
五色一握し 「南無観世音菩薩」と唱え 
観音の徳にご縁を戴くのが 「お手綱」である。
そこでいきなり「どうか宝くじが当たりますように」と祈ってどうする。
平日ながら 浅草の観音様は ごった返す。
管主様の朗々たる観音の徳への帰依を促し、
観音の威神力の普く功徳を願い奉る際にも
賽銭箱に小銭がぶち当たり甲高い音が鳴り響く。
頭の悪いのが 仏殿に拝しておるのに拍手を打つ。
幾ら 帰りに美味いものを 食しても パッとしない。
抜けるように青い空も なぜだか 高く遠く空々しい。
そこで 上野へ出て、 ボクは東京都美術館で
年末まで開催されている『フェルメール展』に。

フェルメールは 32点しか作品が現存しない。
若死にだったので 遺した作品数も多くないが
どちらかというと 寡作な画家だった。
そしてフェルメールといえば 「光の作家」と呼ばれる。
ボクがフェルメールを知ったのは かなり年齢がいってからだ。
蓮実重彦センセイ監修の『リミエール』(筑摩書房)という
14巻しか発刊されなかった映画雑誌で
グリフィス映画のカメラマン ビリー・ビッツアーが
ハリウッドか大学の映画研究アーカイブのインタビューにおいて
「私は グリフィス先生に レンブラントライティングではなく
フェルメールライティングを お勧めしました」と述懐し、
いわゆる自然光的な斜め上からの強い照明に
反射板を使った 逆光(リム)による 輪郭線づくりということを
解題していたのを 読んだからである。
そして そのライティングは ハリウッド映画の基本になる。
さらには ボクが企画プロデューサーとして参画した
『ビリー★ザ★キッドの新しい夜明け』という映画でも
徹底して そのライティングをするために 撮影監督
照明技師 美術監督が 悪戦苦闘させてしまうことになる。
そうしてフェルメールを知れば知るほど
小津安二郎映画のカメラマン 厚田雄春が まさに
フェルメールライティングを徹底してることに驚かされた。
しかも小津のローアングルには フェルメールの
ローアングルの影響を感じずにいられなくなったものだ。

さて。 光の作家・フェルメールではあるが
彼が カメラの前身にあたるような装置で
レンズ越しに 被写体を 見詰ていたことは 既に良く知られている。
それゆえにフェルメールの絵には 光の粒が 効果的に踊るのである。
そして 現在のような精緻なレンズではないからこそ
フォーカスアウト(ピンボケ)や フォルムの単純な構成感は
セザンヌの理論を先駆けて実践されてしまっているのだろう。
驚くほどリアリティを観る者に感じさせながらも
フェルメールの絵は フォルムが単純な幾つかの形で構成されている。
しかし それ以上に実物を見れば観るほど
光の作家 は 影の作家と 再定義したくなるのである。
どうもフェルメールの影は エマルジョン(感光剤)を洗い残す
「銀残し」と宮川一郎が命名した現像手法を取ったような
影に魔術があるからこその「光の作家」のような気がした。
以下は 仮説。
レンズ装置を使っていたフェルメールは レンズ工房にも
出入りをしていたはずだ。 そして彼は そこで
水晶の削りかすを頂戴してみる。 それを絵の具に混ぜる。
何度も水晶の削りかすと絵の具溶きの油と絵の具の量を
調合しながら 彼独自の影を 完成させたのでは・・・。
日本画で使う岩絵の具のような 画布から浮く性質を
絵の具に仕込んでいるような気配を 感じました。
影が独自であるゆえの 光の作家なのかもしれませんな。
ヴァージナルの前に座る女.jpg
とそんな風に画家でもない男が 仮説立てても 聊かの益もなかろうものの 小説を書こうとするからには 何でも蚊でも 分析仮説立ては 本能の如くしなきゃならんのです。
漱石の日本語の独特な感情への作用は 何だろう・・・。
特に 長篇連載の合間に 書いた短篇連作
たとえば『永日小品』『硝子戸の中』の不思議な実験は
小説家漱石の 偉大な試みが 未だに解明されずに
眠っているようでならない。
特に「金」という短い日記のような作品は
経済学史の講義で 「漱石がリカードの『労働価値説』を
読んでいた証拠ですねぇ」と聴いて慌てて読み直したが
なるほど 『金は労力の記号だろう』とくる。
そして『たとえば 一万トンの石炭を掘った器械的労力なら
同じ種類の器械的労力の記号としか交換できないようにしないと
道徳的労力とどんどん引き換えになり、やがて精神界は撹乱されてしまう。
不都合極まる魔物と化す。この金の融通が利きすぎることに
文明が制限を付けるほど進歩していないが やがてそうしなければ
人類は危ないぜ』と 近所の神田の大火事には無頓着なくせに
宇宙の大火事の解説には余念のない空谷子なる人物はのたまう。
これは ある意味でマルクスの資本論だ・・・。
漱石が大逆事件の時に 相当 官憲からマークされていたそうだが
漱石先生は運よく皇族に先生の大ファンや大学時代の同級生らが
概ね 政界官界で中核を占めるようになっていたので
大事には至らなかったらしい。なにせ大逆事件の際
資本論を持っていただけで極刑に処された方もいたそうだ。
漱石の探偵嫌いも実は 神経衰弱 分裂症気味の妄想が
原因ではないのだろう。
そして 人類の文明は 未だ進歩せずによって
金の融通=金融至上主義は極まって ケインズですら
「不労所得たる株価利益には 応分なる制限と課税を」
予告していたのだが どうやら米国の自由主義は
自分勝手主義に堕したような振る舞いに明け暮れている。
人類の進歩において全く反動的な国になっているわけである。
ケネディ兄弟がピークで ブッシュ親子において
遂に米国の 自由は 地に堕ちたのであるが 暢気な
大和民族は 米国から終身雇用 年功序列という
計画経済戦略を 規制緩和で脅されて壊滅状態にされ
食糧自給率4割に満たない国にされたのに
兵站確保も不可能な我が国の憲法第9条まで破棄させ
米国の極東の五十何番目かの州にするのに躍起だ。
サブプライムを引き起こしておきながら米国金融市場は
無責任なほど 元気である。そのツケを日本金融市場に廻しているからだ。
とんでもない「グローバル」・・・・
円高 株安を ついこの間までの原油と穀物の高騰で
儲けた金をたっぷり遣って仕込んでやがる。 
なんて思考回路を 読む者に喚起する小説を 
夏目漱石は 書いてしまっているのであるな。
そして 同じ永日小品の「心」という作品は
人間存在に根を下ろす性の無意識下における
美しくも恐ろしい仮説を わずか原稿用紙5枚で書きあげてしまう。
まぁ お読みなさい。 本屋で立ち読みして 感性豊かな人なら
思わずレジに行って買うしかないと体が反応してしまうから。
フェルメールの絵における技法を仮説するように
原稿用紙にこの作品を書き写してみる(模写?)。
 このためらいの無い短文と長文の繰り返しは 
「百年自分を待っていた女の顔である」という
強烈な一文に向かって疾走しはじめる。
そして その一文に辿りついた途端 読者に
そら恐ろしい何かを「絵にしてみせる」
そこへ行き着くための書き出しに漱石は小鳥を描く。
実に艶かしい春のうららかさの不思議な光景に
性的な記号は 巧みに仕込まれているのであるが
おそらくは 通常の読者なら 俳句の名手でもある漱石の
お得意の写生文と受け止めるだろう。それでも正しいのでだが
夏目金之助は ただものじゃあないので
こんな僅か原稿用紙5枚の掌篇にすら フロイトを読んでいた
痕跡が滲み出てしまうのだ。

 アンドレイ・タルコフスキーの『鏡』という映画を観た時
このソ連の映画作家は 夏目漱石の永日小品を読んでいると
思わず呟いたのは 死んだ小鳥が蘇り 少年の頭に留まる
シーンをカットを割らずにロングサイズでおさめているからである。
そしてタルコフスキーは このシークエンスを
少年が初めて知る性的高揚を 裸体一つ画面に出さずに
観客の無意識下に向かって ただ耳目を通して 
ダイレクトに暗示した。
そして このとりとめない一文は 唐突に此処で終わるのであります。


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シャンティ

こんばんわー
浅草寺大開帳いってきたんですかー?
平日でも、混んでるのかー(汗)
HPで読んでも定時法要とお手綱は、違うのか?状況が想像できなくって、法要が「お手綱」かと思ってました。

池上の御会式も行きましたよ! 結構、近いから、昔から行ってたけど、昔は本門寺近くの出店で引き返してたけど、2年前に初めて、奥の本堂や「御会式桜」まで行きました。昔はあんなに、ライトアップされてなかったような。。。

明治神宮の11/1のライトアップも行けなかったし、紅葉の湯河原もいきたし。。。
by シャンティ (2008-11-04 22:23) 

エイシュン

シャンティさま
どうも。11月16日まで特別開帳ですね。お手綱は 仁王門を入ってすぐ、
角塔婆という柱が建っていまして そこから垂れている5色の帯が
お手綱です。その帯とご本堂で 久しぶりに開帳された観音像の指と繫がっているんですね。(ご本尊は秘仏なので開帳されませんけどね)
お手綱は 観音さまとのご縁を深めるという意味合いであります。
お願い事は やはり 本堂へ入ってから ごゆっくり 心ゆくまで(笑)
別にご法要に侍らなくとも よいでしょうけれど 折角 お運びなら。
 お会式いらっしゃいましたか。
本門寺さんは さすが 法華経の観世音菩薩品(通称;観音経)全文などを4ビートで?読されますから 圧巻でした。浅草寺は 少し お経は
偈という要約的な詩文しか読まれませんので 気が抜けました。

紅葉の湯河原も 素敵ですよね。 万葉公園とか。奈良っぽいですね。
不動の滝あたりは 漱石最後にして未完の最高傑作『明暗』の舞台ですね。ボクは 秋の伊勢 奈良に伺いたいなぁ
大阪に行った際 帰り道に・・・と思いますが
まぁ 今の身分じゃあ 恥ずかしくて伺えないですけれどね(笑) 
by エイシュン (2008-11-05 09:59) 

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