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東京・串揚げといえば「ハクタカソース」になってほしい [ハクタカソース]

先日 大阪に仕事で行った際 広告代理店の方に
お好み焼きをご馳走になった。
そして オオサカ・フーズには 意外にソースが活躍していることが
話題になった。 ソースと牛すじ。 この2点が 出遭った不思議に
ネギ焼きを頬張りながら やや陶然たる妄想が 頭に浮かんだ。
現在 東京では オオサカ・フーズの「串揚げ」がかなりの勢いで
人気を獲得しているらしい。 
「ソースには 『二度付け禁止』と書いてある」とか
「千切りじゃない ざく切りのキャベツが うまい」など
東京でソースが使われる食べ物屋といえば 「とんかつ」であり
「もんじゃ」になる。いずれも ソースはかけたいだけかければいいし
キャベツは千切りと相場は決まっている。
このなんでもない「ちょっとした差異」というのが 案外「特色」にもなる。
立ち飲みで ちょっと一杯 というスタイルで 小一時間をメドに
話の花を咲かせるには 箸やフォーク&ナイフを使わずに
手で串を摘み、キャベツを摘むというのは 和み方に
「仕事してきましたぁ~今日も」という共感が 作用しやすいらしい。
少しく 「職人気質」が 「サラリーマン気質」に移行している風景でもある。
そして 今や それが 「OL気質(かたぎ)」にも速やかに浸透する。
オオサカのものを安直に東に持ってきても それは 限界がある。
やはり オオサカで 有名なお店が 一人勝ちにならざるをえない。
そしてブームは 一過性で終わるだろう。「もつ鍋」の例が ある。

ソース二度付け禁止とキャベツのざく切り食べ放題は 「串揚げ」の「串揚げたる」由縁として
守るとして さてさて 揚げるものだ。
ネットで探れば 京成・立石にある「串揚げ100円ショップ」とか 
東急大井町線?大岡山の「浪速串揚げじゃ~ぽん」が参考になるだろう。
どちらも コンセプトは B級の天麩羅屋だな。A級串揚げだと根津の「はん亭」になる。
座敷でコースのみ。季節の野菜やら 肉にも拘って高級だ。お洒落すぎる。
もともと天麩羅も寿司も 立ち食いから出た。いつしか屋根を構えるに従って 高級になりすぎた。
その反動で 回転寿司が 異常なポテンシャルを発露し 今や 世界中に飛び出したわけだが・・・。
閑話休題(=それはさておき)
ハムカツ、イカフライ、ポテトフライ、アジフライと 従来の豚肉と玉葱の串カツが 東京下町的定番だろう。
どれもこれも東京の下町では肉屋さんが出すものだけれどね。トマトの串揚げは確かに美味かった。
とはいえ それに 一味か二手間かけるセンスが 問われるだろうけれど。パン粉と揚げる油にもね。
で ですね。 ボクが大阪で 勝手に妄想したのは 一口コロッケである。
裏ごししたポテトには 牛すじの煮込みが 入っている。梅宮辰夫のコロッケでも在ったような気がする。
しかし 一口サイズが宜しかろう。隠し味に粉山椒を使うと・・・などと思う。
そして ソースですよ。 ウスターソース、とくに ハクタカソースには
養命酒に入っている生薬が 全部入っている。いや ハクタカソース以外でも昔ながらの製法を維持しているならば
そうなっておりましょう。 で ベースは そういう薬効も備えたウスターソースに
ある一工夫を致しましょう。切りゴマ?いえいえ あれですよ。胡麻ははいっていてもいいですけどね
油で揚げたものに又 胡麻の油が どうなんでしょうか・・・。とんかつ屋でよくやっているけれど
小津安二郎さんとかボクが大好きな上野広小路の『蓬莱屋』では そんな事してませんよ。
でも おそらくは あぁぁ あれだ なるほどね をしている。 答えは簡単だけれど
それは 現在のハクタカソースの社長である従兄弟にだけ教えよう。 
彼も 「んだーッ! そんなの常識だよ」とボクの答えに鼻白むと思うけれど 
今のところ 『企業秘密』だと 思うので 敢えて 此処には記さないことに致します。

お好み焼きといえば お多福ソース 串揚げといえば ハクタカソース となるように 仕組むには どうするか・・・ ウルトラマーケティング的な 話へと 妄想は展開するのでありますよ。
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いとこ会 [ハクタカソース]

今年で たしか 7回目になる いとこ会。
祖母・伊藤ミユノの命日 11月3日近辺に 
谷中の墓地に集合し お参りをし
谷中近辺で 昼食会となる。

祖母は 1991年に亡くなった。
この世を去る日の朝 彼女は 歩いて1分の
我が家に いつものように 歩いて来た。
そして 僕に「ヒデっぺの子供たちは 是非見ていきたかったけど
私に 明日という日は 無いんだよ」そう言って
僕の手を取って握手した。 元気そのものなのになぜか
そんな悲観的な言葉を 口にした。
しかも 祖母は ニコニコしていた。
祖母は 午前中に自ら述べたとおり その夕刻
突如 大腸癌が悪化し、夜遅く
硬く瞑った目から涙を一筋流し 声もなく あの世に旅立った。
波乱万丈の84年間の地上時空における日々に 
別れを告げる瞬間に流した 一筋の涙は あの預言?の微笑とともに
よく生きることの 本当の意味を 僕に 迫ってやまない。


日本蕎麦のソース焼きそばとトマトの味噌汁 [ハクタカソース]

何事もチャレンジですな。 僕の母は ソース屋に生まれた。
僕は そのハクタカソースを 日本で一番おいしいと信じている。
「ウスターソースは いまや 家庭の食卓から消えかけている。」
ハクタカソースを継いだ 叔父や従兄弟は そう嘆いている。
そうかなぁ。で、体重管理上 一日に一食は蕎麦を食することにしているので
チャレンジ・・・。 蕎麦玉は 乾麺タイプなど一度茹で上げるってのでは 無理です。
「軽くお湯にくぐらせてから・・」という生タイプを使用いたしました。
● カベツ(漱石風にいうとキャベツはこう表記する)とピーマン、卵と
   豚肉を 花王のエコナオイルで 炒めます。胡椒は この際に。
● 蕎麦玉を入れ、お湯で溶いたかつお調味料50ccを 蕎麦玉をほぐす目的も
  あって 注ぎ 水分を飛ばしていく。仕上げは ハクタカ ウスターソースで味付け。
● 鰹節と紅しょうがをトッピング。
作るのに カベツを刻んだりの時間を入れ 10分かかりませんな。
味は うまいんだ。 これが・・・。ウスターソースと日本蕎麦の出会いは
予想外に 幸福でありました。
ただし 僕は トマトの味噌汁を 愛する味覚の持ち主であります。
トマトはアミノ酸を保有する数少ない野菜。うまみ成分豊富です。
鰹と昆布の出汁とトマトの酸味とうまみ成分の幸福な出会いは 
あの 井上準之助氏も認めています。
井上準之助氏とは 『男子の本懐』(城山三郎 作)の主人公ですね。
軍縮政策と金解禁を目指し 浜口雄幸宰相と命をかけた 本物の財政家であり
政治家であります。昨今の利権屋でしかない 国会議員では ございません。
日本は 戦前 井上や浜口のような 海外からもその死を悼まれる
本物の政治家が いたのであります。僕はトマトの味噌汁を頂く時
井上準之助氏を 思うのであります。僕の祖母が 若き日に
看護婦をしながら助産婦資格を取ったのは その井上準之助邸でありました。
僕の祖母は 井上邸でお子さん達専属の看護婦をし、夜学に通っていたんですな。
その節に出会ったトマトの味噌汁が 我が母にも受け継がれたということです。
おやおや  話が 大いに横へそれましたね。 


庶民の味 ってわかる? [ハクタカソース]

僕の母の実家は 昭和6年創業のソース屋である。
名前は 『ハクタカソース』 漢字の『白鷹』が正式な屋号だったと思う。
『白鷹』といえば 伊勢の清酒の名前である。
伊藤というのが 姓名であるけれど なんでも
伊藤とは 伊勢の藤原氏 という意味合いが あったから
新潟出身の祖父が 伊勢の銘酒の名を付けたと聞いたことがある。
勿論 その話は 祖母から聞いた。祖父は41歳にして東京大空襲で亡くなった。
そういうものである。
ハクタカソースは 未だに 古式床しい 生薬系のスパイスと野菜スープに
お酢を加えたウスターソースをベースにしたソースを製造しているが
それだけでは 経営は 困難らしい。なにしろ 家庭料理が
ほぼ壊滅状態になり、コンビニやファミレスが家庭料理になっている世の中だ。
なかなかねぇ~。ウスターソース使用が減る一方だそうだ・・・。

肉屋さんで 売ってるフライやコロッケをキャベツの千切りの
上に乗っけてソースをザブザブかけて 白いご飯と
ちゃんと煮干やかつお昆布で出汁をとった豆腐の味噌汁が
あって、八百屋さんで売ってる 糠漬けの茄子か大根が ありゃあ
立派な食卓の情景だ。
ハクタカソースを継いだ僕の従兄弟は 今 新橋辺りに『ソーズ』という
スパイシーチキンの店を出している。未だ 足を運んでいないけれど
いっそのこと かつて 池波正太郎が 大いに懐かしんだ
東京下町の『どんど焼き』ってのを 復刻した店を出してもらいたかった。
お好み焼きと 一線を画す 「屋台で食べる洋食」というコンセプトだったらしい。
味の決め手は ウスターソースをベースにした各屋台のこだわりのソースだったそうだ。
しかも 店舗は ハイエースかんかでね。移動店舗の方が
それらしいじゃないか。ウスターソースは 日本では 庶民の味方だった。
いや これからもそうだろう。セレブなんざ相手にしても どうしようもない。
だいたいセレブリティなんて呼んでるけど ハハハ昔風に云えばいいさ!
つまり『成金-なりきん』!とね。負け惜しみを口にする覇気も無く
ストレスを溜め込んで卑屈になるから おぞましい事件ばかり
起こるようになったんじゃないかな?昔の庶民は 負け惜しみを
飛ばしあいながら もっと 明るくて 楽しげだった。
思えば渥美清の『寅さん』の果たした役割ってのは 大きかったんだなぁ。
小気味よく負け惜しみばっかり言う あんな奴が 結構 
世間を救っていたのかもしれないねぇ。


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