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なぜ 私が小説家になろうなどと思い込んだかの記 [小説]

余りの暑さにヤケクソでエアコンをつけて
一円になもならない文章を書いているので
そういう自問をし 自答を思いめぐらせる。
ということで
以下 その自答は弁明のようなものである。

その壱
中学二年の三学期。国語担当の荒井先生が
「わたしは この年度を終えると
二十数年に渡って天職と信じてきた
国語教師を辞めて 小樽の実家を継ぐことになりました」
そう授業終わりに語り始めた。
荒井先生が小説家を目指して早稲田大学に入り
奮闘したけれど 結局自分は国語教師になったこと。
それでも自分の教え子の中から 一人 作家になる生徒と
巡り合えたら その時 自分の天職としての
国語教師としての役目は 果たせたといえるのだと
信じてきたこと。 そして 
まさにその生徒と巡り合えたと喜んでいた時
小樽の稼業を長男として継がざるをえない事態となったのは
運命というほかないと 先生はやや紅潮して語り終え
やおら
荒井先生は 私に向かって ありがとう と仰った。
確かに 旺文社の夏休み読書コンクールで奨励賞を
貰ったけれど それは夏休みの宿題だから書いただけで
自分で応募したわけじゃなかった。おそらく荒井先生が
応募してくださったのだろう。

その弐

テレコムジャパンという会社で その参まで続く噺がある。
企画演出部で二年ぐらい経っていた頃
洋酒メーカーのサントリーのハウスエージェンシー
名門と謳われていたサンアドでCМディレクー募集があった。
その頃 私はParcoから映画の企画を個人的に依頼されて
会社の仕事もうわの空状態だった。つきあっていた彼女からは
そろそろ結婚みたいなことをデートの時に言われていたが
なにせ映画監督になるのが私の目標だったから
そちらに私の集中力は使い切っていた。
荒井先生からは小説家といわれていたが 映画監督でいいじゃないか!
そもそも私は小説家になる気なんか全くなかったし
寧ろ漫画家か画家になりたかったのだ。そして 映画監督ぐらい
画家のなりそこないに向いた職業はないのだ!と高校時代に自分なりに
小説家呪縛を取り払っていた。
そう 私は画家になりたかったのだ。本当はね。

 サンアドを受験したのは 企画演出部のYM先輩からバカにされたからだ。
「君は受けても一次の書類選考で落とされる」
そういう冗談には ムラムラと闘志が湧くタイプなのだよアタクシは!
そしてその先輩の鼻をあかしたい一心で受験し 私は最終面接まで残った。
その通知をその先輩の鼻先にちらつかせた時の爽快さは今でも忘れない!
だから 後はどうでもよかったのだ。
そうして パレスホテルにあるサンアド社の面接会場のドアを開けると
壮年の紳士が私の二次試験で描いた つかこうへいが早慶戦で
オールドを飲みながら負け惜しみを語る サントリーオールドの
テレビCMコンテを片手に いきなり
「星野!君はコピーライターで入って小説書いてなさい
 開高健と山口瞳 知ってるか?」
存じております。と応えた。私はその社長が高橋進さんだとかなり
後年になって知ることになるが その節 私は
まず総務部長の品田さんが 仲畑貴志さんをサンアドで育てた
あの品田さんかなぁという質問をしたくてうずうずしていた。
そしてあの碧色地に真紅のステッチが入ったチーフを襟に捲いている
紳士は もしやして トリスの「どーすんだよ」シリーズを
企画した酒井さんではあるまいか そして酒井さんの横に
いらっしゃるのは アートディレクターの副田さんだ。
副田さんは 広告雑誌でよくそのお見受けするから。
すると「社長 星野さん着席できませんよ」
品田部長さんがそう声をかけてくださって ようやく座ったが
面接時間の間 サンアド社長からは 小説家になるべきだ論が
繰り返され退室寸前にやっと 品田部長さんに
「仲畑さんにカレルチャペックの園芸12か月をお渡しになった
品田さんでらっしゃいますか」と質問したら
品田さんは 小さく「ええ そうです」と頷かれた。
酒井さんと トリスの話をしたかったと思ったが サンアドに入社したら
ゆっくり聞けるさと スキップして家路に着いた。
だが結局私は 不合格だった。ショックはなかった。
なんせParcoで映画を創ればいいだけだったからだ。
そして私と企画演出部同期と言ってよいM君がサンアドに合格する。
サンアドに入社したM君から電話がテレコムに入った。
「なんで 星野さんコピーライターで入社するの断ったの
 毎日 社長が 僕の机のところへきてそればっかり話すんだけど」
私はお断りした覚えなど無い!そうM君には正直に応えた。
お断りなど断じてしていない!するわけがない。
そのくだりを当時付き合っていた彼女に話して
私はフラれることになるのだが・・・・。
そしてその参。
彼女の怒りが噴火する直前 私はテレコム通信という社内報の
インタビュー記事を担当することになり
テレコムがテレビマンユニオンコマーシャルという社名時代に
プランナーとして働いていた小説家の矢作俊彦さんに
お話を伺いに 東横線の反町へ大雪の中会社のデンスケを持って
出向いた。聞きしに勝る変人 いや天才肌の方でしたので
テープ起こししたら 社内報の編集長のK氏にこっぴどく叱られた。
おまえはもっと会社の奴隷になれ などという小汚い言葉を
浴びせ掛けられると アタクシ 俄然ファイトが湧く性質でして。
天才肌のハードボイルド作家のかなり面白い噺を
再構成して 終いにはアルチュール・ランボーなんぞを匂わせて
締め括ってやりました。K氏も「やれば できるじゃないか」と苦々しくも
降参の態と言う有り様でした。フフフ。
それでも私はその原稿を矢作先生の承諾を得ぬまま
K氏に承認を受けるような道義に外れたことは致さぬ者でした。
矢作さんからは お電話で「Kが ガミガミ言ったって?
そもそも俺とあいつは仲が最悪だったのに インタビューに
おまえを寄こす料簡が 忌々しいやね 再構成、あれでいいよ」
流石 ハードボイルドだどぉ いや いなせでございます。
教育大付属駒場出身者でございます。
後日 このハードボイルド作家さんから
「大友克洋の漫画 SFなんだが 原作手伝え。
 そうしているうちに出版社の編集者と仲良くなって
 おまえなら三十前後で小説家になれると思う
 但し会社は 暫く勤めておけよ 
 宝官さん(テレコム社長)には俺から話入れておくから
 適当に勤めていればいい。それと 自衛隊を舞台にした
 別の話でも大友とやるけど そっちには軍事武器マニアの男が
 参加する。そいつも一緒だけど
 あの反町の俺の仕事部屋 一部屋開いてるから
 おまえの彼女が厭じゃなければ同棲しても
 いいよ。いずれにせよ家賃はロハでいい」
てな ありがたい噺を受けたが
Parcoの映画が暗礁に乗り上げ 付き合っていた彼女は
いきなり怒りを噴火させ会社に謎の休職届けを提出し
九州の実家へ突然帰ってしまった そんな事態の中で
オロオロしている内に 頭が混乱し 
矢作先生への受け答えもうわの空になる。
今思えば 矢作さんのところに伺って相談すべきだった。
「九州に跳ぶべきでしょうか」と。
そうしたら どういう回答が出てたかなぁ?
そういうことをせずに私は Parcoの映画について
一人で奮闘をしてしまった。ニンテンドーのファミコンゲームとの
コラボ企画に一人奔走したり。
そうしていればフラれた事実を
受け容れられると信じたからだろう。そして
そんな状況をそのまま短篇小説にして文学界新人賞に応募したが
その結果など顧みることすらしなかった。
なぜなら 私は ただ 頭の中が混乱し不眠症になっていて
その自己治療するために推敲すらしないで書いただけだから
さぞかし酷い代物だったはずだったし しかも
私は 銀座の小さな、できたばかりの広告代理店に
出向させられ そこで ブルーレット【おくだけ】 
というネーミングをし 後は広告屋&マーケッターとして生きる日々が
慌ただしく私を待ち受けていたからだ。
そして 映画とも小説とも長いお別れをすることなった。
しかし 長いお別れには 久方ぶりの再会が宿されている。
永遠の別れでは ないはずだ。
最後に 藤沢周平さんが 書いてらした一文をしたためる。

藤沢さんが 小学校の高学年の頃。冬近い庄内の自宅で
留守番をしている時 見知らぬ鳥打が 訪れ
弁当をつかわせてくれと 頼まれた。藤沢さんは
とりあえずお茶の用意をし 囲炉裏端へ座布団を敷いた。
弁当を食べ終え 茶を飲みながら目つきの鋭い鳥打の男は
「あなたは 将来 教師・・・ いや 物書きになる」
いきなりそう述べ 礼を言い猟へ向かうため家を出た。
藤沢少年は 後年 小学校の教師になるが 胸部疾患で
泣く泣く教師を辞し 関東のサナトリウムで長い闘病生活をする。
漸く手術をし 故郷に戻ることもできず 新橋の
業界紙の記者として勤めることになる。教師にはなりそこねた。
業界紙とはいえ 物書きではある。既に三十代だった。
肋骨を数本切り落とすという乱暴な手術で
すっかり病弱な体質となりながら家庭を持ち 
業界紙記者として働く。やがて四十代半ばを過ぎて
藤沢周平さんは 唯一の趣味として毎年短篇小説を一作書くことにした。
おそらく 彼がそうせざるを得なかったのは
鳥打の鋭いまなざしを 記憶から消すことができなかったからだろう。
そして その一文の締めくくりに
「十代の前半あたりに 私のような預言めいた事を言われると
 その呪縛から解かれることは 困難なのだ。しかし
 私は そのお蔭で こうして小説家になれたのも事実なのだ 」

以上 私の弁明陳述は これにて おしまい。
皆様 暑さに負けずに!ファイト! 
闘う君の歌を闘わない奴等は嗤うだろう ファイト と
『やすらぎの郷』で ディープな『六羽のカモメ』的な
エピソードで 歌ってましたね。 人間誰しも 闘っているんだ。
ファイト! 闘わずに嗤っている奴なんて逆に存在しないというのが
あの歌の凄味だと 私は思うのだけれど ね。

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ふくろう

エイシュンさん、おひさしぶりです。
ふくろうです。
この記事を読んで、コメントを書こうと思いました。
小説については、全くわかりませんが、ひょっとして、
素人の感想も参考になるんじゃないかな、と思いまして・・・。
失礼を承知で書きます。

みんながいっているんですから、小説家としての才能は、十分なんですよ、きっと。
だけど、だから、なにを売るんだろう、って感じがします。
ほんとは、映画監督とかが、似合ってそうですよ。
だけど、なにかを書かなきゃなんないお役目があるような・・・。

エイシュンさんでしか書けないものを書けばいいじゃないですか。
それがエイシュンさんの売りでしょう。
たとえば、「バックミンスター・フラーさん」についての本とか・・・。
この人について、書いている時は気合が入ってますよ。
エイシュンさんが書くと、面白いものができる気がします。
それに、すごい人なのに彼のことをわかりやすく書いている本は
ないように思います。
「もしドラ」のような本、そんなのはだめですかねえ。

小説家って、ひとりで油田や温泉を掘っているようなもんですから、ほんとにすごい道を歩いていると思います。でも、かっこいいじゃないですか。

それじゃ、ぼちぼち、がんばってください。
応援しております。

by ふくろう (2017-09-03 19:04) 

エイシュン

ふくろう様
おやおや 本当にお久しぶりです!
ご指摘のとおり 映画監督の方が 好きなのですが
CMのディレクターとかね。
フラー博士と日月神示が ピッタリ私の頭の中で
地球の歳差運動というポイントで合っちゃった!
てのが あります。
そもそも宇宙船にアブタクションされた 夢だか現実だかわからない
体験以降 小説のほうが 伝えやすいと思い込みました。
映像だと 押し付けになるので あの世界。
寧ろ個々の脳内イメージ力に訴えかけた方が あの世界は
正しく 宇宙に存在する人間としての問題意識へと
誘える。 ほんと 油田を掘っているバカタレみたいですわ。
結末が ジェームス・ディーンが主演した『ジャイアンツ』になれば
まだしもでございます。
激励のお言葉 誠に ありがとうございました。感謝感謝です。

by エイシュン (2017-09-03 20:46) 

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