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村上レィディオ 村上作品の音楽篇 [小説と映画]


『1Q84』で 作曲家も未知だし
聴いたことのない曲が 結構 大切な
役割を果たしていて ちょっとウンザリした。
今回の番組でもリクエストはなかった。
ところで
著作権がうるさい世の中になっていますが
村上さんの小説には いろんな曲が頻出します。
『ノルウェーの森』なんてビートルズの曲が
題名にすら使われている。
大丈夫なのかしら? 
私が書いた『羊をめぐる冒険』のシナリオでは
冒頭をビートルズの
『ワイルマイギタージェントリィウイープス』で
主人公が友人とやっていた
デザイン事務所を閉めて
北海道へ向かう姿を 殆ど台詞無しで 
淡々と仕事部屋を後にし 
街路樹が立ち並ぶ道を歩いて行く。
すると 前から自転車が 来る。
全裸の女性がその自転車をこいでいて 
主人公とすれ違う。
当然 主人公は 目を疑う。慌てて煙草を喫おうとする。
離婚した妻かと思う。もう一度自転車とすれ違う。
いや あったこともない女性だと 思おうとする。
原作には全く無いシーンですが そのシーンの
フィルムは今でも私の脳内で撮影済みであり
上映中です。
今日のラジオ番組でも 『ノルウェーの森』は
かかりました。 『海辺のカフカ』で使った
ドアーズの曲が よかったなぁ。
村上さんは 『ノルウェーの森』を
ノルウェーの家具と
訳すべきだと言う人がいますが いいんです。
あれは森で正しい訳です!と仰いましたが 
ちょっと説得力無かったぞなもし。
私の推測では あの曲の頃
ジョンはヨーコと出遭っていた頃だと思う。
ヨーコは日本の大金持ちの娘だが ロンドンで
お嬢様学校に行かず 風来坊して
実家からの送金も潤沢でなかったので
おそらく スウェーデンのイケア製品ばかりで
部屋の家具を揃えていたんだろうと思う。
スゥデニッシュウッヅだったんだろうが
唄いにくいのでノヴァージンウッヅにしたんだろう。
そしてボンヤリと思うのは
村上さんが 小説中にいろいろな音楽を出すのは
単純に 彼が音楽マニアだからでもあるけれど
(ジャズバーの経営をしてたわけだから)
おそらく 村上さんは 80年代の学生映画を
覗いた体験から 学生の奴らが
ノンポリでモラトリアムのお花畑で
ありとあらゆる楽曲を手当たり次第 
どうでもいいような映像に付けていたのを観て
「う~ん まぁ これはこれでいいんだよ」
そう思われたんだと私は邪推するのである。

私は エリック・サティの『幕間』から
同じくサティの『ジュムノペティ』
ビートルズの『アデイインザライフ』と立て続け
揚句に シーナ&ロケッツの『ユーメイドリーム』まで
使っていた。ビートルズの『レボリューション』もだ。
わずか30分の映画に上記の曲を勝手に使用した。
2本目の映画では 流石に 冨田勲さんの
シンセサイザーによる『アルハンブラ協奏曲』と
ポール・マッカートニーの『シリーラブソング』の
前奏というよりパーカッションアタックを
映画の開巻に合わせて使ったぐらい。
いやいや最後のタイトルロールバックに
中島みゆきの曲を使っているんだけど 曲名が
自分でも思い出せないぐらいマイナーな曲。

ところで
中島みゆきの『りばいばる』いい曲ですよね。

♪酒に氷を入れて飲むのが好き
 それが 誰の真似かもとうに忘れたころ
 やっと忘れた歌がもいちど流行る
愛してる 愛してる 今は誰のため
愛してる 愛してる 君よ唄う

この曲を使って主人公の「私」を
ショーケンにして
遠藤周作の『わたしが棄てた女』を
病気をキリスト教から離れるためにも
エイズにして 森田ミツを現代に蘇らせる
そんな試みを90年代にしていたことがある。
連城三紀彦の『恋文』なんぞで
泣かせりゃいいんなら 泣きの涙の
お涙頂戴映画 上等じゃねーか と
哭いてカタルシスの映画1500円分対価に
見合うんだったら という意気込みだった。
だが ショーケン又 マリコさんで捕まるし
遠藤さんサイドが 難渋をお示しだったし
♪ それがわたしの素敵な夢ぇ 
  それがわたしの
  ステキなゆっめぃドゥリーム
おお すいません 今日のラジオ番組
のことが すっ飛んでしまいました。
申し訳ございません。

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大豆田とわ子第5話~松田龍平の神回 [小説と映画]

※ 以下敬称略します。
松田龍平が 父親よりも優れた才能を発揮している。
この役は 彼じゃなきゃできなかった
松田優作が 遺作となる『ブラックレイン』でようやく
ショーケンという目の上のたんこぶを超越した。
ジーパン刑事以来 ショーケンのやることなすことを
越えなければいけないというような生真面目というか
パラノイアに陥っていた松田優作は
『探偵物語』という いい作品においても
『傷だらけの天使』を越えられないジレンマを懐き
新宿のゴールデン街で 無茶な喧嘩や暴れ方をしていた。

さて。
今回の『大豆田とわ子』は 中盤で小津安二郎の
リバースショットになる。少ない台詞で
とわ子にとって最もショックな事が明るみになる。
そう かごめのことだ。
ディレクターも頑張っていた。撮影部も照明部も
ローアングルでなく 松田龍平と松たか子の視線が
交わらすことができない そんな
微妙な空気をとても美しくショットとして
描き切っていた。 
ほめ過ぎかもしれないが 小津作品に匹敵する。
おめでとう! こういう劇的なシーンを言葉少なに
画だけでせつない空間を2次元世界で描き
3次元の我々に伝えきるということは 
とても大切な映画監督の仕事だ。
そして小津はそれだけをした。だから黒澤明より
日本を代表する映画監督であるといえるのだ。

 セリーヌの『夜の果ての旅』という小説の前篇は
こう締め括られる。
『人生とは何だ? その答えは 身を切るようなせつなさを
 愛と呼ぶことだ。 愚かだといえばいい。だが
 僕は 何度でも言う。
 人生の意味は 身を切るようなせつなさ だ』
この小説を私は3年前インフルエンザで亡くなった
里亮弘から薦められて私は幸運にも20歳で読んだ。
彼はシネフィルであったが 小説もよく読んでいた。
ヴォネガットとセリーヌ、そして未だ誰も注目していなかった
『ガンダム』のブレイクスルーを早々と教えてくれた。
彼が今ここにいないことは とてもせつない。
だが 彼のような人間が この嘘くさい騒動で
世間が意気消沈している世界など体験しなくてよかったかもしれない。
  人生とは そういうものだな 里!

 身を切るようなせつなさを 
真夜中のメリーゴーランドに乗って
あなたは知るだろう。
それはとてもたいせつな感情教育だ。
宮澤賢治の童話たちに 人々は救われるが
それは 身を切るようなせつなさを
賢治さんがしっかりと
伝える言霊を操る天才だったからだ。

第5話には とてつもなく厭な奴が出てくる。
救いようの無い悪党かもしれない。
坂元裕二ワールドだから どこまで真底悪党だかは
分らない。それは来週以降にわかる。

 市川実日子にとって 代表作になるだろうね 
この作品。
彼女らしさを坂元脚本は最上級に引出しているし
彼女も丁寧に演じている。
ズボラで純粋な人間の貴さなんて
なかなか描かれないし 
演じられる機会があるものじゃない。
車寅次郎みたいなもんだが 女性だしね 
モテモテで困る女だから
寅さんと同じだとは 誰も思えないよ。
でも 坂元さんの真意はそこだと私は思うんですよね。

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たかがテレビドラマじゃないか されど。 [小説と映画]

『カルテット』の第6話を観なおすことができました。
坪井さんが演出です。坂元さんのシナリオが秀逸だったから
あのように撮られたのでありましょう。でも改めて見直すと
やはり見事でした。
交わらぬ視線の先に クドカンさん演じる幹男と松たか子さん演じる
真紀夫婦の、いや男と女のすれ違いが交錯して
其々のショットの連なりが 夢の帯として
二次元的な振る舞いをして まるで 我々の記憶装置において
我々の過去の体験のように染み込んでくる。
これって ちょっと凄いことですよね。
私は巻幹男じゃないんだから。私の嘗ての恋人たちは
巻真紀にどこも似てはいないのに
ついウッカリ あぁ あの言葉はそんな意味が
あったのか なんぞと私の体験の二次元振る舞いが
ドラマを観終えた後 忽然と浮かんできて 苦笑いをしました。
そのやるせなさはちょっとやそっとでなかった。
オンエア時には 其処まで来なかったはずだけど。

このドラマや『掟上今日子』『逃げ恥』は
追体験を視聴者相応に呼び覚ましうる作用があるので
ツタヤで貸し出し中になりっぱなしなのでしょう。
実際の私の人生より遥かに恵まれた世界であっても
記憶のやり直し作業にドラマを引用して美化するのかもしれない。

 映画とか小説の感情教育機能が人生に及ぼすのは
そういうことなのだと それが功徳みたいなものなのかな。
癒されるという言葉でも良いのかもしれないが
癒されるぅぅうじゃ 説明になっていない気もする。

傷ついた心を抱えたままで 呼吸するのも辛い時に
自棄食いや泥酔よりも 余程対価に値いする行為だし
肉体にだって遥かに益すること請け合いだ。
 こんな斜め上から観たような説明では 判りにくいかな?
 
ところで
『anone』(日テレ)より『カルテット』(TBS)の方が
映像の作り方は 上手出し投げ いや上手だった。
ローキーで自然光 フェルメールライティングを目指しているのは
『カルテット』。『anone』は 紗でもかけてるような
朦朧態。好意的に言えば 印象派的というか。
『カルテット』はセットとロケセットを
実に巧みに合致させている。
美術部と照明部が撮影部にしっかりと
息を合わせている仕事ぶり。
勿論 坪井演出を撮影部以下が
きちんと理解し共鳴しているからこそできる。

 すずめを演じる満島ひかりさんは こないだの
女性刑務官役よりも この作品の方が彼女の代表作に
相応しい。松田龍平さん演じる別府君への片思いを
健気に振る舞うすずめは第七話かな?
ミッキーカーチスさん演じる不動産屋の社長との掛け合い
シーンの後 突如踊りだし ミュージカル映画的になる
あのシーンは 秀逸だった。
ゴダールの『女は女である』では 
あんな間合いと呼吸で登場人物が踊り出すのが
頻発するので 映画監督などを目指す若い方々是非御覧なさい。
ハリウッド製のミュージカル映画だけ観ていても
去年アカデミー賞獲ったミュージカル映画は作れない。
つまり あの映画の監督はおそらく『女は女である』から学んだはずだ。
そして おそらく坪井監督だったと思うが
『カルテット』の上記シーンを演出したTBSのディレクターさんも。

『anone』は 広瀬すずさんの前髪が未だ長い。
いや再び長くなった。彦星君まで長い。まるで顔無しだ。
贋札づくりでこの世界に復讐を企てる
元・IT長者のサイコパスっぷりが これからクライマックスを迎えるけど
瑛太さん演じる和製リプレーの贋札作りが 
案外 面白くないのは
この現実の世界で仮想通貨という
悪貨は良貨を駆逐する存在が合法的に出現しているからかな?
グレシャムの法則なんて先進諸国の財務官僚が知らない
わけないのに何の規制も設けずにいたなんて
我々が生きている現実世界は かなり変なことになっている?

あぁぁ 坂元裕二さんは 
チェホフの『かわいい女』、主人公オーレンカを
描きたかったわけか。田中裕子さんのあのねさんは正しくそうだし
はりかも オーレンカ的な少女だわ。

そして火野正平さんが本領発揮です。
刑事事件の国選弁護士を引き受け続けた揚句
犯罪者と付き合いすぎて もう民事事件しか担当しないという
いい人なのか悪い人なのか見当つけづらい弁護士を 
絶妙に演じられている。若い時から実力派でしたけれど
凄味が増してきて 貴重な俳優さんです。

ちなみに 
ドラマのTBS復活!だそうです。
思ったとおーりだ。
ただ『アンナチュラル』はちょっとやりすぎ。
金八先生でもいじめ問題を懸命にやったけど
ドラマの限界領域だったことを証明している。
法医学といじめを強引に結びつけた結果は
結構 あざとさが 後味悪く残ったなぁ。
先週のも巧いけれど 策士策に溺れるというか
二組の父と息子の関係を描く構造的な作為は
立派といえば立派ななのだが・・・・。
 小津安二郎監督の『父ありき』という逸品がございます。
あーゆー父と息子であれたら
そらぁ申し分なかとです ぐらいで男は受け止めるのです。
昨今 母と娘の関係に拘る女性クリエーターは各分野に多い。
男性はエディプスコンプレックスという紋切り型に
うんざりしているのでこの問題について深入りすることを
避けるというか 『父ありき』でいいじゃんという
思いが強いかもしれない。
更なる具体例で説明するなら
『コウノドリ』において星野源さんと塩見三省さんで
父と息子関係を描きましたが 私が観る限り
『父ありき』でした。観ていて破綻無く 
しみじみとしました。しみじみしたいわけですよ。
男は。
因みに ダースベーダーとルークスカイウォーカーは
特殊すぎちゃって。

 野木脚本はスピーディで見応えあります。
運動神経の良い台詞まわしも素晴らしい。
だが テーマ設定に苦しんでいるのも判ります。
法医学と時代潮流を巧く結びつけるテーマ探しは
プロデューサーとディレクターの役目でもあります。
もうちょいと頑張ってほしかったなぁと思います。


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anone あのね4話と5話 [小説と映画]

あのね
という書き出しをせざるをえないのであります。
4話の青葉るり子(小林聡美さん)の哀しい母の物語は 
物質的に豊かになり過ぎたこの国の歪みそのものでした。
こころを忘れた豊かさに モノに頼った 日本的でない豊さに
我々はいつしか 本当の豊かさを忘れたまま
地球の歳差運動に無防備に直面してしまうことへの警告のように
私は受け止めてしまった。
 身を切るようなせつなさ という
ドストエフスキーやセリーヌ、ヴォネガット以来、優れた小説家が
感情教育の最も鋭い感性への志向性を 坂元裕二さんは
リプレーを現代日本に蘇らせるために書いています。
立派な試みだし その試みは成功するでしょう。

 堕胎してしまった娘の幽霊と共に生きながら 一人息子からは
いともたやすく 邪魔者にされ 行き場を失くしたるり子さんが
贋の家族を 田中裕子さんの「あのね」さんを中心にして演じる。
それが5話です。
そして第5話で やっと はりかが 前髪を切りました。
広瀬すずさんも美少女の面目躍如です。
彦星君もはりか同様 現代日本の歪んだ豊かさの
犠牲者です。そして 江口のり子さん演じる、 あのねさんと
血の繋がらない娘の薄情さに やや戸惑いつつも
リプレー・瑛太さんの 歪んでいる日本社会なのだから
歪んでいる欲望を贋札づくりで報復しようという企みが
後半から 贋の家族に芽生えた豊かさを踏みにじるのか
どうなるか。昨今の小説では出会えない物語が 我々を待っています。

 複雑な物語など詐欺師の才能でしかない。
私は そう思うこともあります。
でもね。ここまで手が込んでくると その騙し方に付き合うほうが
どうせアホなら踊らなにゃ損々 となってしまう。
どうせドラマでしかないのだから。
物語を消費する生き物だから 人間は。
モノを買うのだってそこに物語を求めている。
さらにいえば
もしかすると 地球の歳差運動の間 人類は空中都市で
人口の4分の3は十年ぐらい健康的な冬眠をし
その間に睡眠学習というか睡眠人生を送らねばならない。
その予行演習であり 映画やドラマの作り手たちは
冬眠中のよくできた夢見を制作する準備をしているのかも。
さて。
余談ですが 松潤ドラマをちょっと観たら 腹話術の人形が出てましたね!
世間では 彼の顔はやっぱり腹話術の人形っぽいというのが
通説なのでしょうか? んなわけないのですが
以前このブログで そう書いてしまったので ギョッとしました。

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寒中お見舞いもうしあげまする [小説と映画]

お寒うございますな。皆様お健やかにお過ごしでしょうか。
明け早々超スーパームーンでございまして
ちょいと 危ない気配もありましたが
なんとかどうにか 恙なく めでたいことです。

さて。昨年は『カルテット』という名作から始まり
『わにとかげぎす』という秀作もありました。
極私的に申し上げれば
TBSの【坪井敏雄ディレクター】を発見したわけでございます。
嘗て TBSには【井下靖央ディレクター】という
『想い出つくり』というドラマで逆ズームを
劇的に使用した監督がいらっしゃいました。
その方がいらっしゃいましたので アタクシは
TBSを受験いたしましたが ハハハ不合格でした。
ドラマのTBSをディベートのテストでやりすぎました。
民放局が幾らベースが新聞社とて大本営発令の嘘を
ペンで戦い抜いたわけでもないのに
広告媒体にすぎない民放局が報道のTBSなどかたはらいたし!
と ちょっと つかこうへい芝居的に
熱弁を柄にもなく奮ってしまいました。
本当のことを 言っては 渡る世間はないのですね。
それにしても 
ドラマはTBSに限る!
『陸王』は原作が原作ですから 勧善懲悪で
市井の方々の喝采を存分に受けて弥栄。
あれで素晴らしい。だが若手の田中ディレクターの回には
顔の上下が切れるようなアップを多用しないどころか
必要なければ回避し、寧ろロングサイズを多用していて
志の高さに胸撫で下ろす次第でございました。
最終回は あぁぁ福沢御大ね。やっぱね。仕方ないやね。
そして 土井ディレクターのライフワーク『コウノドリ』は
あの「アタシシッパイシナイノデ」の嘘くさい医学ドラマより
遥かに 気高く 感情教育をドラマで果たしておられました。
遠藤周作の『母なるもの』 
ヴォネガットの『母なる夜』
という医学とは無縁の
偉大な小説における主題を 産科を舞台にして
真面目に 正面から 愚直に描かれていました。
その静かな闘志に 頭を垂れます。
No More Lonesome! 淋しいのはあなただけじゃない!
ヴォネガットの拡大家族計画の合言葉
ノーモアロンサムを 淋しいのはあなただけじゃない!
そう翻訳した伊東典夫さんは 素晴らしい!
私だったら 孤独何て真っ平だぜ と原書を読み過ごしただろう。
だが 淋しいのはあなただけじゃない!と訳したから
今でもそんな題名の漫画すら出てくる。市川森一さんが
それを題名にしたドラマをTBSで脚本書いてたはずです。
そして 2017シーズンの『コウノドリ』は
まさしく あなたは一人じゃないよ 淋しいのは
あなただけじゃない を至る局面で合言葉のように
発せられていました。 

半島の独裁国家のデブにも
No more Lonesome! 
と安倍首相はツィッターで語りかけりゃいい。
トランプの方がいいか。安倍さんと『千と千尋の神隠し』に
出てくる坊にそっくりな独裁者は仲がいいんだっけ既に♪
とっくに♪ ガンバレチィヨイゾボックラのナマカと
夜中首相官邸で二人はテレビ電話でベロベロに酔っぱらって
歌っている・・・・なんて 噂はございません。
ところで
三橋さんという経済評論家が ついにピンク罠で
捕縛されましたな。流石に共謀罪適用せんかったが
本当の事を語ると渡る世間は 無いのですね。
監獄の三橋さんに向けて【No more Lonesome!】

そして『監獄の御姫様』 リプレーに挑戦された
結果が まぁ いいじゃないっすか。
但し あの構成じゃなく コロンボのスタイルで
編年体構成でも ずっと面白くなっていたと思う。
回想形式ってやはり辛いね。伏線が解き放たれるって
そんな快感ないじゃない。編年体で最後の土壇場で
リプレー吾郎が ナイフの鞘はどうした
と思わず呟いてしまい 検事のミスを突っ込んだつもりが
実行犯であることを自分で白状していく
流れにも観ている方には無理がかからないはずなのだ。
コロンボのあの形式は それまでのミステリーの
謎解きを受け入れやすくした功績が大きい。
だからディアゴスティーニのコロンボのDVDを隔週で
あれだけ多くの人々が購入するのですよ。
シナリオ作りにも ちょっとしたマーケティングセンスって
必要だったりする? 
そう思う方は少ないか。
まっ いいか 
いいや どうでも。

では 今年も皆様にとって 素晴らしい年でありますように!

※ 株価が高い間は第二次朝鮮戦争は勃発しません。
  景気の良い時に 戦争する国は先進国にはいません。
  半島の独裁国家に無人戦闘機で上空から
  1億ドルほど
  ばら撒けば回避できる危機でありましょう。


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二度観てしまうドラマ [小説と映画]

去年は 『逃げるは恥だが役に立つ』と『カルテット』を
TVerで観られる一週間の間 二度観てましたが
この秋は 『コウノドリ』と『陸王』ですね。
吉行淳之介さんは 「再読の価値ある小説は 正しい」
と仰ってました。「再読する度に新しい発見をしてしまうのは
新作でも古典だ」と。又「古典と称されていても 再読し難い
作品も私にとって幾らでもある」by吉行淳之介。

上記4作品のテレビドラマは おそらく
ドラマとして「正しい」のかもしれません。
但し私が吉行先生ほどの批評能力があるわけでは
ないので 甚だおこがましいのですけれど。

『陸王』は 『小さな巨人』や『半沢直樹』を制作した演出陣。
市川右團次さんがご出演されていても 歌舞伎芝居を
抑制しているのが 面白いです。しかも
目の芝居が必然となる以外は アップサイズを控えめにし
ロングサイズを多用しているところが 私は好感を持ってしまう。
ストーリィラインは 勧善懲悪ですが 悪い銀行員君でさえも
おぉぉ こう変わるか という辺りは なかなかですね。

 本来阿川佐和子さんが 足袋屋さんの社長夫人が穏当ですが
敢えて壇ふみさんを気風のいい姐さん社員役にしなかったのは
正解でした。阿川さんがあそこまで芝居心があったとは
意外でした。お見事です。阿川さんとキャスティングされた方に
拍手です♪ 『下町ロケット』以来のモノ創りドラマ。
マーケティングと言う仕事も そういう面白さ、
モノ創りのシナリオを描くことが
とても愉しい仕事でした。

『コウノドリ』
先々週の死産の回は 殊更観直しました。
洋菓子屋さん夫妻を演じた 深水元喜さんと篠原ゆき子さんが
共に好演されていたのは ネット上でも話題でした。
このお二人で『自虐の詩』を再度トライしたい・・・と
思うプロデューサーは いないかなぁ と思いました。
深水さんで『ゴルゴ』ってのも いいかもしれません。
このドラマでも「殺し屋」と反応されてしまうケーキ職人でしたし。

 医療系ドラマは 『コードブルー』にしろ『ドクターX』にしても
高視聴率らしいですが 『コウノドリ』は
ドラマの深さが ちょっと他局の2作品とは違うように
私は思います。医師に死生観まで任せることの切なさ 
危うさ それに向き合うことしか
できないのが ドラマの作り手としての限界。
それでも 心の洗濯屋さんたるドラマの作り手たちは
せめて 医師たちに死生観まで背負わせてしまうことを
世間の人々に訴えかけることは 臆せず為すべきなのでしょう。
このドラマの原作漫画の作家さんも 心の洗濯屋さんとして
そうせざるを得なかったでしょう。

意外なことに大好きなクドカンさんのドラマを二度観してません。
二度観すれば 台詞の中にきっとある芸の細やかさに
気付くのかもしれませんね。それにしても子役の使い方が巧い。
そして このまま今年のクリスマスからの回想で
ドラマの結末が どうなるのかは 未だ予測がつきません。
『カルテット』も最後から3作め辺りからガラガラと急展開し
素晴らしいカタルシスへと我々を誘ったチームですので
愉しみですね。

 綾瀬はるかさん主演の『奥様は取扱い注意』は
毎回 綾瀬さんの吹き替え無しのアクションシーンのみ
その場で繰り返し観ます。
ただ話が・・・・作り込み過ぎていて嘘くさい。
嘘がばれるのが怖くて嘘の上塗りするが如し。
どうも私には感情移入し辛い。
本田翼さんは 『ワニトカゲギス』の時の方が
数倍 いや数十倍良い。TBSの坪井ディレクターさんは
主演女優(本田翼さん)の顔に影が降りても
その影を活かして本田さんを美しく撮る腕がある。
フェルメールライティングを大切にすると
そうなるのです。
綾瀬はるかさんと坪井ディレクターさんは
『わたしを離さないで』で組んでいましたっけ?
そういえば 私はブログで『わたしを離さないで』について
書いた折り 原作者のイシグロさんの方が
村上春樹さんよりノーベル文学賞を受賞するのは
早いような気がするって書いてたんですよ。
やったぁあ 預言的中!って 莫迦な私。
忙中閑ありとて妄言多謝。失礼をば致しました。


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おやすらぎいただけましたでしょうか [小説と映画]

『やすらぎの郷』が駆け抜けた半年。
倉本聰さんは やはりコメディですね。
深刻なところもございましたが コメディがいい。
芸達者が揃いに揃って愉しかった。
石坂さん無しに在り得ないドラマと浅丘さんが
仰っていたらしいけど まさしく。
そして浅丘さんと加賀さんが 素晴らしかった。
もちろん 八千草薫さんが 姫でした。
永遠の姫っすね。今時あんな完璧な美人で
すてきなソプラノで ねぇ 一言で語れる女優さん
存在しませんね。もしかすると今後も。
おそらく
倉本さんは昨年このシナリオを書かれている際に
蓮實先生の『伯爵夫人』をお読みになって
秀さんの金まる潰しのエピソードを書きたくなったと
私は 推察致します。ちょっとハッピーちゃんが
可哀想すぎるだろうが!と思いますけど。
それほど蓮實先生の『伯爵夫人』は人を興奮させるのですよ。
って 倉本さんがそうだったか確証得ておりませんが。

 あのアズミとナオミのキャスティングだけはちょっと
私の独断と偏見で 敢えて申し上げますが
説得力無いと感じました。ちょっと平凡な顔立ちすぎる。
早見あかりさんぐらいキャスティングしてほしかった。
早見あかりさんだと80にして立つ!のも
無理からぬが ひと目で判ると思うのだけど。
そして菊村先生の御乱行後の冷静な大人の振る舞いに
棹さすごとき 事実にも だよねー の
ずっこけ方が 更に激しくなっただろうと。

 風吹じゅんさんとミッキー・カーチィスさんが
特筆ものでしたね。ことにミッキーさんの
麻雀で信子さんのお父さんに敢えて大逆転役満をつみこむ。。。
できんのか そんなこと と訝りつつ
彼が演じていると やれるんだ つみこみでぇと納得していた。
ミッキーさんの『カルテット』で 雀ちゃんの片思いに
「まぶしいねぇ!」で切り返すシーンが珠玉なのですが
お暇な方はチェックしてください。真紀さんの夫が出現する
前の回でした。あの一言の台詞をあそこまで輝かせるのは
つみこみで対面に役満させる人じゃないとできません。
と おそらく倉本さんもそう思ったに違いない。

『やすらぎの郷』について 又後日書くかもしれませんが
今回は この程度にさせて頂きます。

※『わにとかげぎす』が 結構最終回も素晴らしかった。
主役二人は次々と危機回避をご本人たちがするつもりもなく
為されてしまい なんだバースターキートンのスラップスティックを
観ているような爽快感が ありました。
その代り彼らを取り巻く悪党たちが 次々と自滅していく
様相は凄いけど。この主人公・富岡は
落語『文七元結』の左官の長兵衛と同様な仕儀を人として為した
ゆえにもたらされた至極のハッピーエンドというのは
贔屓の引き倒しでありますかな?
感情教育ですからね 小説も映画もドラマも。
なぜ感情教育が大事かと申せば
それは Youtubeで『ザ・シークレット』でもご覧ください。
あれ観ると なぁあんだ おいら若い頃から思考と感情の
二重螺旋構造化の努力なんてやってたもんね。
なのでした。
たかが小説でも たかが映画でも たかがドラマ 
じゃあないのです。

倉本先生も 名台詞書いてました 「姫は 心の洗濯屋さん」
だって。


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2017年春から始まったドラマたちよ [小説と映画]

『コードブルー3rd』
新垣結衣さんと毎週会える機会が失われるのが辛い。
何はともあれ それだけで幸福でした。
戸田恵梨佳さんは 『リバース』とは別人28号の役を
そつなく 好演。灰谷役の成田陵さんは『逃げ恥』とは
打って変わった役を好演。若手の演技派として
今後注目されていくでしょう。脇でも主演でも期待できる。
成りきり集中力の高さが別格。
ガッキーはダンスがなくってもよいのだった。
ただ 話は ピアニストの少女の脳腫瘍の後遺症だとか
山Pの藍沢のキャリアアップだとか 盛り込み過ぎだ。
ワンクールの量じゃない。患者が繰り広げる
『ER』の社会性には足元にも及ばないのは
フジテレビの戦略の問題なので致しかたない。

『黒皮の手帳』
シナリオのテンポが速すぎる。こちらも
2クール必要なのを無理矢理
1クールで語る窮屈さが 淋しかった。
ただ武井咲さんは好演。安島の結婚相手になる
NHKで野田さんというドラマの主人公をしていた
女優さんがよかった。出番は少なかったけど
脇役ながら 光っていた。すいませんお名前も確認せず。
伊東四朗さん演じる長谷川会長が 急変して牙をむく
あたりは かなり無理が在ったと思う。
最後の罠も ラストの武井さんの謎の微笑も
私は 少し違和感が残った。視聴者の想像力に委ねすぎ。
芥川龍之介の『羅生門』の黒滔々たる闇に消えた 
の余韻とは なっていない と私は思う。

『わにとかげぎす』
実は未だラストは観てません。本田翼さんに
早口させない方が もっとよかった。
どうしても早口になるのなら 監督が台詞を削ってしまうべきだ。
成瀬巳喜男監督は本読み段階で墨で塗りつぶして
脚本家の水木洋子さんといつも喧嘩していた。
特筆すべきは
殺人鬼上原を演じた俳優さん この人が秀逸だった。
お名前調べたのに忘れてしまった。失礼!
蟹江敬三さんとか内藤剛志さんの如く
悪役専門から次第に主役を張るタイプがやっと出てきた。
大滝秀司さんも 倉本聰さんの『2丁目3番地』で
かなしき税務署員を演じるまで悪役専門だった。
その役以来『うちのホンカン』で八千草薫さんと夫婦役まで
のし上がるのに時間は掛からなかった。
それにしても画作りは さすがTBS。
ロケ場所も脇役の顔の揃え方も巧い。
世界の北野監督も
この周辺をもっと気にした方がよいだろう。

『やすらぎの郷』は おなかいっぱい。
倉本聰さん凄すぎ。やりすぎ。でも大成功!
テレビドラマってこんなに面白いものだったんですね
と多くの人々が世代を超えて納得しただろう。
宮藤官九郎さんも坂元裕二さんも負けちゃいられんよね。

 八千草薫さんの出番がなくなって哀しい。
八千草薫さん演じる大女優・九条摂子姫さんが亡くなる前に
彼女を称して 心の洗濯屋さんと言い切ってくださったのは
倉本聰さんの極め付け名台詞だった思います。
心の洗濯屋とか心の掃除人になるのが
役者やシナリオライターやスタッフの使命なのだ。

ところで 若き日の八千草さんが主演された
『三四郎』の映像が引用されていたけど
捜して観ないと♪
ただ 漱石原作映画って
どうしても原作に負けるのです。
なぜなら 漱石の小説は読み手の映像的想像能力を
相当の腕力で引き出させる言葉の力が別格だからです。
そして小説という存在の役割は
我々の映像=イメージ能力を鍛える ということです。
MindGameをしに生まれて来た人間存在にとって
感情教育の目的地を其処へと明確にした
夏目漱石の偉大さについては 余計かもしれませんが
此処にしたためます。

このドラマについては いずれ別に稿を改めます。
未だラストまであれやこれやあるようだし。
浅丘ルリ子さんが このドラマは石坂浩二さんだから
成立したと仰っていたけれど 全くその通り。
まぁ 言わずもがなのことですが
高倉健さん もう少し長生きしてこのドラマに
秀さん役で出てほしかった。藤竜也さんも好演されてますが
高倉さんあてがきで さぞやり辛かったでしょう。


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スクェアダンスの気配 [小説と映画]

昨夜の『カルテット』で宅建資格を活かして
すずめが北軽井沢の不動産屋に就活する。
ミッキーカーチスさん演ずるダンディーな社長の
眼鏡をずらす仕草を交えて御機嫌に踊る
すずめ役の満島ひかりさんを 移動撮影でとらえる。
『ララランド』ってアタクシ観てないけど こんな雰囲気?
ミゾミゾ=溝口健二如くクレーンで移動し撮影していた!
で 漸くアタクシも ミゾミゾ感を堪能させて頂いたのだった。

ほぼ確実なことは
満島ひかりさんにとっても
このドラマは彼女の代表作の一つになるはずだ。
ガムテープで口塞ぐのはきつかっただろう。
それを一気に剥すのは もっと辛い。
ベッドシーンよりも 女優にとってナンボか辛かろう。
だが それを耐えたご褒美に
この回では 御機嫌に歌って踊ったし あの不動産屋さんは
白雪姫の七人の小人的存在で ホークスっぽかった。

せいてい じゃなくて成程 
このドラマは四角関係だったのだ!
こっちで ゴダールの『はなればなれに』における
スクェアダンスを おやりになる・・・・かもね。
『逃げ恥』だとね ガッキーという
アンナ・カリーナによく似た女優さんで おやりにと
こちとら思いますがな。ただ 余りにも彼女の
エンドロールダンスが 素晴らしすぎたから。
と 又 アタクシは 一人 思い込みを激しくする。

 マスカーニのオペラのアリアが巻夫妻の出会いと
別れを色どったわけだが そのオペラの
筋書きが 或る夫妻とそこへ割り込む男との
三角関係で 結末は 夫さんと割り込み君の
決闘によって夫さんが お亡くなりなるんだそうで
それを示唆しているのだという指摘が ある。
ところが あれれれ・・・ なんだなんだ
真紀さんってのが 謎が謎呼ぶ設定だったんだねぇ
なんだこの複雑さは! 漫画原作じゃないから
監督と脚本家の丁々発止がせめぎ合っていいじゃないか!
こうでなくっちゃね♡ 
アタクシの二つの小説はパラレルワールドの合わせ鏡だが
それを統合する役割をする存在がいる。
それは 異星人・・・・じゃなくて アルザル・シャンバラ人という
もう一つの地球人たちだったりするけど
まさかねぇ 早乙女真紀と名乗る女性が
パラレルワールドを統合するアルザル・シャンバラ人なんて
ことにはならないよねぇ 絶対に。
いきなりこんな変なことを書くかと言えば 私の小説で
アルザル・シャンバラ人は 五十嵐知日子という名前で 
両方の小説に出てくるのだが
昨日 千葉の両親宅から帰る地下鉄の中で
アタクシが小説に書いた五十嵐知日子が
ずーっとアタクシの前の席に座っていたので
寝不足気味のアタクシは 眩暈を覚えた。

まぁ 現実の頑なさに その硬さに ちょっと
やるせなさを覚えると それを 忘れさせる出来事が
表出したりするのも この世らしさである。私の人生には
よくあることなのだ。
そして 『カルテット』のようなドラマが放映されているのが
この時期に重なるってのも 
かなりシャレオツな宇宙の冗談である。


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お久しぶりです、『海街diary』について [小説と映画]

DVDを借りて観ました。鎌倉だし、綾瀬はるかさんだし
勝手に 小津の『晩春』や『麦秋』を想定して 期待していた。
綾瀬はるかさんは 美しく撮られてはいました。
いやどんな無能な監督が撮っても 
綾瀬はるかは 結局 美しい だけのことだ。

だが それでは終わらないのだ。

彼女が幾ら天真爛漫で天然キャラだからだといって
おはぎを一口で食べてみせるカットを あのサイズで撮影する
監督の才能の無さに辟易した。希林さんと2ショット 直角水平の
アングルで 希林さんが 綾瀬さんの一口で食すを観て
アドリブをどうかましてくれるか 私が監督なら試す。
望むべくは 希林さんも一口で食べるのを試し 喉に詰まらす を
想定してね。事前に絵コンテ見せて。「綾瀬さん 一口でいけるかね?」
と、敢えて希林さんの前で訊く。希林さんぐらい芸達者だと察するから。

にしても 下手くそな脚本だった。 
14歳の中学生の未知の少女から「父が亡くなりました。私まだ中学生なので
お葬式の出し方が判りません。 初めてお電話するのに いきなりで
申し訳ないと思いますが お願いします。お姉さん助けて下さい」
といった電話でこの物語が始まるぐらいじゃないと
なんで長沢まさみさんのダメンズ次女の自堕落な寝姿からいきなり導入するのだか
あたしゃ 理解できひん!と江戸弁と関西弁がまじるぞなもし。
つまり ある日突然 借金を残し しかも不倫相手と出奔した音信不通の
父親の訃報を 会ったことも ましてや妹がこの世にいた事すら知らなかった
鎌倉で暮らす三姉妹が 健気な少女を山形の山奥から引き取る
最も大切なドラマをちゃんと ショットバイショットで魅せる腕が無い。
余計なドラマが多すぎる。三姉妹の恋愛模様なんざもっと端折れ。
大切なのは 腹違いの妹を受け容れる三姉妹の葛藤や 自分たちを棄てた
父親への複雑な其々の想いを どうやって画で語るかだ。
この映画の監督は おそらく夏目漱石の『草枕』を映画読本として丹念に読んでいない。
あの小説のラストは こう終わる 
『那美さん それは画(え)になる!』 そう主人公の画工(絵描き)は絶叫する。
小説と映画は 二卵性の双生児である。
共に それは画になる!を 追究する遺伝子が色濃い芸術形式だ。
映画は一方で音楽と同じく数学的な効率性を 時間芸術として思考を準備する。
小説は 時間芸術ではないが 数学的な幾何学性を 構成と構造として
準備しなければならないのだ。
なんつー事を 判っていても なかなかどうして 巧くいかないものだけれど
にしても 下手くそなシナリオだったし 納得いかない画ばかり並んでいた。

白魚が海中から網で浮上し水面で太陽光と戯れるショットすら無く
ましてや 山奥育ちの少女が その透明な形姿を両手で掬い
「お父さん これがシラスだったの」と思わず独りごちるショットなど
望むべくもなく くだらないシラスバーガーとかシラス丼で父親との
食物的記憶による追慕を 台詞で説明ばかりする。
桜のトンネルを自転車で疾走するシーンを トリュフォーの
『あこがれ』や『突然炎のごとく』へのオマージュとしてショット=それは画になる!
に仕上げられないのは 枯枝監督の映画的教養の低さでしかあるまい。
ジョージ ロイ ヒルですら『明日に向かって撃て』で『突然炎のごとく』への
オマージュをそつなくこなしておるがな。情けない。こんなブザマな映画を
カンヌのコンペティションに出すなんて。
橋田寿賀子の脚本でカンヌに勝負した莫迦プロデューサーなど今までの
映画会社なら存在せんかった。あんな何でも台詞で説明しそれでも足りなくて
石坂浩二さんの重厚なナレーションで登場人物の心理までベラベラと・・・。
まぁね 小津映画の共同脚本執筆者の野田高悟さんが 松竹シナリオ研究所出身で
唯一正式採用を反対したのが橋田さんだけどさ
今じゃ勝てば官軍だぜ。いやな渡世だ。
橋田とは正反対にそれは画になる!シナリオと小説を書き続けた
ラジオドラマ出身の天才・向田邦子さんの『阿修羅のごとく』を覚えている方も多いだろう。
この映画の原作漫画自体が 『阿修羅のごとく』の突如現る異母妹弟に三姉妹
ドロドロのスンゲー世界を 下手くそにパクリ損ねているわけですから
企画を立てた人からして 才能が無いわけだ。類は友を呼びたがるもんね。
困ったものだ。 枯枝じゃなくて是枝さん? わざとですよ。才能枯れてるもの。
橋田脚本書く映画監督が 今じゃ日本の第一線の映画監督なんて
到底受け入れ難いのは 私だけなのだろうかしらね?

流石に 蓮實先生のお弟子さんの黒澤清監督や西山洋一監督なんて方々は
こんな 下手くそなシナリオを書かないし、たとえば 映画的教養の高い
高橋洋さんとか知能指数の高い森下佳子さんにシナリオを依頼するだろうけどね。
いずれにせよ原作漫画の程度が低いのだから 上記のような方々なら
懸命に努力奮闘されただろうにね。 
扇風機の前でバスタオルとって縁側で少女が涼むカットがあるのだけれど
あれって テレビCMで大昔 やってたませんでしたか?
つまんねー映像記憶だよ。
はれほれひれはれ がっちょ~ん 
ついでに だっふんだぁ!


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