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瀬をはやみ~逢はむとぞ思ふ [落語]

『崇徳院』は 志ん朝が 上方落語を江戸に置き換えて演目にしたかもしれない。
偶々出遭った金持ちの一人息子と一人娘、女は 男に 崇徳院の上の句を料紙に認め
男に手渡す、一人息子は 下の句を察して 恋わずらいで寝込む始末。心配した親ばかで、
長屋の熊さんを 呼び出し、百人一首の崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」という歌だけをたよりに 江戸市中を訪ね歩けと 急かす。褒美に三軒長屋を丸々くれてやる。
そう云われて 目の色変わった熊公の欲と道連れの四苦八苦が 演じる落語家の腕の見せ所。
オチは 欲と道連れだったのは 熊公だけでなく 娘の方でも 大工の棟梁が駆り出され
ナントカ 広いお江戸の浮世床でパッタリ出遭って 末に逢はむとぞ思ふ!と男と男が掻き抱きあう。
侊志ん師匠は 元々品の良い語り口調だから 時間が もっと取れたら もっと良かっただろうな。
さて。 「瀬をはやみ・・」の詩は つまり「運命の男と運命の女」の意だ。
『繭の時間』という僕の小説も まさに それだ。岩に邪魔されようが 滝の濁流に巻き込まれようが
運命の男と女は いつかなるようになる。ペリーコモの曲でエルビスプレスリーが歌った
『Let it be me』もまさに崇徳院の詩と同じように川がやがて海で一つになるようにあんたと私は
なんだかんだといって なるようになっちまうよ という歌詞である。
そんな 感想を抱きながら 帰宅した。
ところで、話は全く変わってしまうが 深夜 テレビを観ていて吃驚した。
国営放送の『トップランナー』に偶然チャンネルが 合った。クッキングアーティストである
GOMAの3人娘たちであった。 おや まぁ! 僕が ミスタードーナツの広告仕事をしている時に
僕の兄弟子のようなNさんという方と一緒だった。3人娘のお一方の父上である。
さぞかし Nさんお喜びだろう と うす寒い春の宵に少し心が温まった。
そして そのNさんのご息女らしき方が「 人との出会いによって
自分達が 面白いと思ってやっていたことが 次から次へと展開を呼び寄せた不可思議」を
淡々と語っていた。そうだね。同感である。 僕も20代の頃、全くそうだった。目の色変えて
有名になりたいなんて 思ってもいなかった。ただ 好きな映画のことを 夢中で
自分が面白いと思うことを信じて疑わずに 没頭していた。そうしてると次から次へと
人が 寄ってきて 『ビリー☆ザ☆キッド~』なんて出来たわけだしね。
僕の『テイル・スープ』もいい歳した独身オヤジが そうして書いてはみたけれど
やっぱり よる年波って奴ですか 純粋な心ってのに戻れていないのかもしれませんな。
オイラなんぞ 汚れちまっていて 欲と道連れで ありんす。
まだ若き20代の青年諸氏(男女含めて)よ
ニートだってなんだっていいけど、 純粋におやんなさいよ。
純粋になる心ってのも 若いうちだぜ! 自分は面白くないけど、世間がこうだから
こうやったら当るはず!なんてのは 不純なんだから。自分が面白くもなんとも無いモノでも
世間が喜ぶはずだから 厭だけど 当て込んでやったぜ なんつー慇懃無礼な志では
折角の若さが 台無しでは ないか!ある意味 『もったいない』とオッサンは思うよ。
さてさて。
私は 天命庵の『順天』というおしえにも 通じるなぁ と一人感慨し、悦に入る。
なるほどなぁ と  全ては偶然の衣を纏った 必然なんだな と。


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