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喜劇愛妻物語 ~日本映画界のお寒い事情 [映画 ]

★ 敬称省略致します。
★ シルバー料金1100円なら許せるけど1800円なら薦められない。

まずは2時間上映時間を遣って 構成が甘い。30分ぐらい短縮できる。
水川あさみのヒステリック症状演技は見事だし どうして 本来 こんな素敵な女性が
こんな駄目男と結婚しちゃったんだかを観客に同情させるに適宜なる存在感。
そして駄目男との間にできちゃったけど娘に対する正しい母親であるべく
健気な姿が ヒステリーの合間にも反射的に冷静さを取り戻すあたりは
水川あさみの勝利!
浜田岳は 勿論 巧いのでなんでも見事になりきってるから文句は無いのだが
もう少し他の俳優でトライしてもよかったかもしれない。
嘗ては 一瞬とはいえ 輝いていた感を判り易く出せる・・・山田孝之とか たとえばね。
大久保佳代子のエピソードが丸ごと構成を緩くし、駄目男ぶりが単なる色情狂に堕ち
喜劇というより悲劇だ。
折角 新津ちせ演じる娘・アキが 頗るつきの名演をしているので勿体なかった。
ちなみに新津ちせは 『エール』で梅の子供時代を好演している。『君の名は。』『天気の子』の
新海監督の御息女。

 お寒い事情は シナハンに行けという制作会社のプロデューサーが
仮払いで十万円も即手渡しできないというのが 今の映画界なら絶望的である。
3年かけて書かせたシナリオが 年内クランクインなのに 原作者のダメ出しで暗礁に
乗り上げるような仕事ぶりで制作会社がそんなのをプロデューサーとして雇っているとしたら
日本の映画製作会社の経営者は無能すぎる。何を経営、マネージメントしているのだろう?
シナリオを自分で書けないまでも プロット、登場人物のキャラクター設定を文書化し
トップマネージメントの承認を受けて会社としてシナリオライターに発注し
幾つかのシーンを絵コンテマンに発注し 資金集めをする程度の事ができないようなのを
プロデューサーとして働かせるなと 私は言いたい。キャスティングだってイメージボードを
制作会社できちんと想定した写真入りのボードを自ら シナリオライターに発注する時点で
たたき台くらい作って動け。本当の事を言えば プロットに沿って箱書きという
必要シーンを文章とか絵コンテや写真付の つまりイメージできる構成案だって 
シナリオライターと作り上げ
ほぼ完ぺきなシナリオを用意しながら これはという監督に参加させ
完成稿に向かうべきだ。 無論 原作者がいるなんら箱書き段階で認証する契約書を
交わしておくべきなんだが 未だ そんな事もやらずに 屑みたいな映画を
スポンサーありきで素人判断で あの女優が出演するなら とかいう きちんと市場規模計算をした
マーケティングプランと全く無縁の 製作費の4割粗利狙いのどんぶり勘定が 商習慣じゃ
最早 どうにもならん。だからテレビ局の方がビジネスとして正確で 作り手も
有能な者は 映画でなくテレビドラマへと流れているが まぁ NetFlixが 入り込んで
旧態然とした日本の映画業界も変わらずを得ないはずなのだが 
喜劇愛妻物語じゃ そんな世界とは別世界が描かれていた。まぁ いまだ あれが リアルなんだろう。
余計なエピソードと主人公の性的欲求不満のしつこさなんぞ省き
肝心要の妻のヒス言語録をまとめたくだらないメモを妻に発見され 
それを基に妻が小説を書きはじめ 駄目夫に
途中で「あんた 暇なんでしょ 完成させなよ」と手渡され その小説をブログにしたら
意外にも出版社からお声掛かりし 出版となり そして 念願の自ら脚本・監督という
世界が広がるところで 2時間の上映時間が満たされれば そらぁ観客は大喜びだったろう。
言っておくが こんな事は 動きだしのところで 箱書きを作って
今回の流れの箱書きと二つ 簡単な調査をターゲット層にインタビュー調査して
収益予測を立てるのが 映画ビジネス。 
本がこのぐらい売れてるから このぐらい映画もヒットするだろう なんつーお子ちゃまレベルの
収益予測から 俳優費 スタッフ費 そんでもって実際現場でかかるおカネと4割粗利を付けて
宣伝広告費という下手すりゃ実行製作費以上に掛かるのを単純に足し算して 
さぁ おカネ集めしませう!
そんなんじゃ 半沢直樹が債券融資案を持ってきてくれる訳がないだろう?
上記に挙げたビジネスワークをルーティンでやってなきゃ 
本気で銀行が付き合ってくれるビジネスになりません。
製造業としての骨格を 日本の映画業界はもっとしっかりと確立してください。
フリーのライターをこの映画のように使い捨てしてたら本当に駄目になる。
一スジ(脚本と話)二ヌケ(映像美)三動作(演者の魅力)って
日本映画の父・マキノ省三が 至言を遺しているじゃないか!日本映画大学とか
日大芸術学部とかのシナリオ学科とかが 優秀なライターを養成しているようじゃ
真面な製造業としてCoolJapanの一翼を担うなど 片腹痛し。
もう撮影所を所有している映画会社がこの国には存在しちゃいない。
東宝は 配給&撮影所レンタル会社です。東映もほぼ同様だが
なんとかテレビドラマで制作もしているが 局主体の受注下請け会社化している。
TBSがテレビ局だが 自前のスタジオを持ってます。
緑山というロケもしやすい宿泊施設付のね。新聞社と縁を切って いっそドラマのTBSを本格化し
報道なんて辞めちまって 日本発のネフリになっちまうのも手だ。
いくら野木亜希子が有能でも 新海プロデューサーと
塚原ディレクターが野木大将と
スクラム組んでないと あぁは いかない。
妄言多謝 それでも書かずにはいられなかった。


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池田エライザでウルトラセブンは可能だ [映画 ]

『名建築で昼食を』『働かざる者』『きょうの猫村さん』
いずれも テレビ東京(大阪もあるが)の深夜ドラマです。これら3本に出演中の池田エライザをTverで毎週眺めていると この人の顔が妙に懐かしくなってくる奇妙な感覚が湧いてくる。なんだろう?『浦安鉄筋家族』の
岸井ゆきのが28歳で女子高生を見事に成りすます姿に
近藤正臣の風祭右京(柔道一直線)を重ねて
岸井ゆきのは おそらく 近藤正臣のような女優になると預言したくなるのとは 違う 奇妙な感覚。
分りました。池田エライザは 『ウルトラセブン』の
アンヌ隊員を演じた菱美ゆり子と同じアイラインで上記3作品に出演している。これだ!デジャヴュ観だった!
となれば 善は急げだ。TBSよ ドラマのTBSなんだし
『ウルトラセブン』は正しくTBSの栄光を担った名作だ。リメイクを急ぐべきだ!しかしお子ちゃま番組にしてはいけない。アンヌ隊員と諸星ダンに憑依した異星人のラブストーリーで野木大将シナリオが スケジュール上無理なら 森下佳子シナリオで進めるがよろしかろう。勿論 怪獣も出てきていいけどさ X-Fileクラスの異星からの怪物としてそちらの開発は 円谷プロじゃなくても幾らでも人材はいるから大丈夫!兎に角異星人と闘う地球防衛軍日本隊における骨太なドラマは 今時じゃないか?実際米国も日本も宇宙防衛軍を設立してるのだ。お子ちゃまやムー!民のオタク世界じゃない。
ムーンショット計画というのも内閣府が発表しとる。
あれは冗談じゃないわけでしょ? だったら 企画として成立するじゃない。いっそSFロマンへ日本のドラマ界も舵をきるべきだ。諸星ダンは成田陵とか いるし。
ウルトラセブンの戦闘シーンは毎回じゃなくていい。
いっそ爬虫類型宇宙人レプテリアンで しょっちゅう
人間に化けて悪さしまくるのでもいいんだけどね。
ウルトラセブンが怪獣じゃなくて 人工地震兵器とか
気象兵器をいざという時ぶちのめすのでも面白い。
バッタの大群を日本上陸前にスペシーウム光線やらで
一掃していくとかでもいいな。 ウィルスをばら撒く
研究所を面倒だ!踏み潰してしまえ!・・・これは
お子ちゃま だね。勧善懲悪の歌舞伎芝居無しの
スカッとする『新・ウルトラセブン』をドラマのTBSに
私は 期待したいと思うのであります。妄言多謝
敬称を略させて頂きました。 
ご静聴 ありがとうございました。

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日日是好日といいたいものだ。 [映画 ]

まずは日テレのドラマでガッキーが 登場しますね。
8月から ムロツヨシの妻役で しかも幽霊?
いや 回想シーンメインらしい。永野芽衣の母親でもある役。
脇役らしいけど 今必死に脚本練り直ししているそうですが
元々の話がおそろしく面白くないので期待はしません。
ただ ガッキーのリフレッシュしたところを観たい♪
新垣結衣は無双です。原節子の再来といってしまえば事済むのであります。
この御二方の共通項は 【清楚と清潔感】という美しさです。
       ※

『デッドドントダイ』という米国製ゾンビ映画を観ました。
監督はジム・ジャームッシュです。米国のヌーヴェルヴァーグというか
ニューヨーク大学映画学科で ニコラス・レイという知的なプログラムピクチャーを
撮り続けた映画監督に師事した とても賢い映画監督です。
『コーヒー&シガレット』という私が憧れ、嫉妬しまくった映画を創った人です。
『ビリー☆ザ☆キッドの新しい夜明け』という映画は こういう映画にする
はずだったのに!と 映画館で本当に地団駄踏みました。
で 今回のゾンビ映画も ユーモアたっぷり、気持ち悪さどっさり、
センスの良さが随所にキラキラ。流石です。どうせなら感化院の3人の少年少女が
ゾンビを巻いて逃げおおせるエピソードも入れて2時間30分に上映時間がなっても
面白かったかもしれません。ただね。凄いラストなんですよ。
それはネタバレになるから書きません。
ただ それはホラー映画として凄いわけではないのです。
いきなり 俳優が監督に文句を言いだし 私が8㎜映画の自主映画でやったようなことを
やっているので 今度は椅子から3センチほど飛び上って吃驚しました。
多くの方はご覧になっても なんじゃ こりゃ!でしょうけどね。
それにしても 賢い監督なので なぜゾンビが突然出現したかも説得力があります。
環境破壊による地球の自転運動が狂ってしまうという理由なのですが
地下水くみ上げすぎとなっていますけれど 本当は化石燃料の掘削しすぎで
自転運動が狂いつつあるから 今 シベリアで38℃を記録し
中国で在り得ない量の雨が降っています。温暖化じゃない。自転が狂いだしている。
そして
この映画では ゾンビをして人類共食い絶滅を暗示しているのであります。
墓場からJe suis en vie ジュスィゾンヴィ あたしゃ生きてると呟き彷徨するから
ゾンビなんでしょうけど。そういうゾンビはウロウロしてませんけど 
DeepStateの面々は共食い絶滅の自棄のヤンパチをしだすかもしれませんので 
気を付けましょう。目下 財務省のゾンビが消費税再増税案を
政権に突き付けているらしいですから。
早くあやつらグアンタモに送還してほしい。
自衛隊の方々 尖閣付近で大変でしょうけれど 
永田町霞ヶ関のゾンビ退治ももお忘れなく。

 にしても 『デッドドントダイ』は 結構真面目なことを 
ユーモアたっぷりにホラーしてるんで かなり楽しめます。
しかも日本刀がゾンビに有効なことを紹介しているんですが その使い手たる
葬儀屋のスコットランド人女性が 宇宙人・・・(ネタバレしちゃったすいません)
いやぁ 宇宙人がドンドン出現しつつある今日この頃、
都市伝説が現実化しているから
ジャームッシュは ちゃんとタイムリーにぶちかましたものだと 関心しました。

以下 Youtubeのリンクを2つ貼っておきます。
一本目は 私の早大シネマ研究会の後輩が作っているリトルシネマシアター
もう一本は 私が以前から小説にも書いていた
鳥や昆虫がフリーエネルギーや空飛ぶ円盤のエンジンシステム
の原理を持っているよということを 証明してくれるような動画
考え方の学校・Yoshi Sunという英国在住の若き哲学者兼企業家の十数分間の
都市伝説が現実になりつつある 今という時代を物語る動画。
どうぞ お楽しみくださいませ。
★ リトルシネマシアター
https://youtu.be/4xa46N3oEgg 
★ 考えたかの教室『反重力生命体』
https://youtu.be/DlglWjISN6U
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いまこそ『2001年宇宙の旅』と『ソラリス』を [映画 ]

お久しぶりです。皆様お元気でおすごしでしょうか。
この間BSNHK『アナザーストーリー』で『2001年宇宙の旅』にフォーカスしてました。アーサー・C・クラークという知能指数200越えのSF作家が最後のシーンで実は
【人類は進化して意識体となり 宇宙を探査し続ける】で締めくくるナレーションを用意していたそうです。
1968年公開です。私は高校生の時リバイバル上映で銀座に未だあったシネラマで観ました。すごかった。宇宙に浮いている感覚にフラフラしたのを覚えています。けれどハッキリ言って 上記のナレーションをカットした
スタンリー・キューブリック監督には 腹が立っています。もしもそんなナレーションがあれば 私の人生の選択はもっと違うモノになっていたでしょう。あの意味の分からなさが良いといいますが 最後のナレーションがあれば まさに こんな時を迎えるまでに何をすべきか 私に もっと明確に 自信を持って用意させていたでしょう。そして大学時代にタルコフスキーの『ソラリス』を観て 私は直観的に『2001年』よりも 同じ年に初公開されたソ連製のSF映画『ソラリス』に信頼を置きました。キューブリックには人間的なぬくもりがないんですよ。完璧主義を誇るわりに溝口健二や小津安二郎ほどの映画への愛も 人類へのささやかな愛情も感じられない。飽く迄私の受け取り方が いびつなだけかもしれませんが。
つまり黒澤明とキューブリックはとてもよく似ています。どちらも完璧主義さでは 小津と溝口より上です。
そしてスタッフの手柄を独り占めするのも上手です。

世間ではよく口にしますね。
『ソラリス』は文学的だし、哲学的言質が半端に散りばめられていて気恥ずかしくなる とかなんとか。
だけど 地球と人類の関係について
しっかりと思い描ける想念が成長進化していないのに どうやって3次元宇宙を探査していく動機が起こるのだろうと思うのです。
タルコフスキーは それを素直に 訴えていました。
地球という惑星は なぜ 我々人類を このショウも無い自己中心的な生物を育んでくれたのか それを理解できていないままで 知的生命体と言えるのでしょうか?
全く知的でないゴキブリ星人エイリアンとかMIB3に出てくるのもゴキブリだったけど あの手の自己中侵略生物として 宇宙を探査するのでなく破壊していくだけの
生命体に なりたいのでしょうか?
 ディープステートとか呼ばれる方々はどうやら自己中侵略生物になりたいらしいですけれどね。
という事を考えるために 『ソラリス』と
『2001年』を見比べて観るのも 今はとても大切なことだと思います。
なぜなら 都市伝説でなく 我々は
あれよあれよと言う間に ナノマイクロチップ入りの
ワクチンを打たれて監視管理社会の中で 肉体を棄てた方が楽ですよぉ の世界に引きずり込まれる可能性が
大きくなっていますからね。マスコミの報道など消して
Youtubeで関暁夫さん関連の動画から 藤井聡教授や
三橋貴明さんのMMT理論という貨幣経済の解説やらをチェックした方が 有意義に時間を過ごせます。
ただご注意願いたいのは Youtubeの中には
似非すぎる科学を振り回すrap(ラップ)理論とかいう
韓国製のオウム系カルト動画もあるので要注意です。
困ったことに日本の十代がそっちにはまっているらしいとても頭が痛い! 
賢明なる方々は
変人総理とヘーゾー以降
日本の半導体産業がどうなったかをしっかり思い出してください。
勿論 栗きんとん大統領が仕掛けたことですけどね。
それにしてもTBSは『インハンド』を半沢直樹が自粛で撮影できていないなら放映すりゃいいのに。
まさに 生物化学兵器パンデミックドラマでした。
生物化学兵器に勝利するのは パンデミックが起きたその土地で古来食べ続けられていたおつけものでした。
というオチは もしかすると 日本が なぜ世界中で
ウィルス騒動の中でパンデミックが比較的悲惨にならなかったのか?  その秘密は なんと
  ヤクルトだった・・・・なんてことかもしれません。
勿論ジョークです。冗談ですよ。私は飲んでるけど。
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『Once upon a time in HollyWood』タランティーノは男でござる。と『凪』 [映画 ]

前の文章をアップした後 真夏が始まってしまい パソコンの置いてある部屋に
エアコンが無いので 暫くブログもお休みしました。未だ 生きております。
さて タランティーノの新作映画です。
1969年を舞台に架空のテレビ俳優(イーストウッドとかをモデルにして)と
その専属スタントマンのコンビ、すなわち ディカプリオとブラピですが
この映画でアカデミー賞の主演男優賞はどっちが受賞するのでしょうか?
ディカプリオはコメディアンとして抜群の演技をしています。
神経症気味のハリウッドのテレビ俳優からスパゲティウェスタン(日本ではマカロニウェスタン)に
活躍の場を勧められて増々イラつく様子もさることながら 時にはテレビ番組のナントカショウで
スーツ姿で煙草片手に歌って踊る時も決まっています。一方ブラピは泣かせるスタントマンの
マッチョでストイックな様子をハードボイルドタッチに演じてはまり役です。
『グリーンホーネット』で人気が出始めていたブルース・リーを朝鮮戦争の元戦士だった
スタントマンは ついついリーの大口に嗤ってしまい(・・・ネタバレですが)見事に凹ませす。
そして 可憐なシャロン・テートとポーランドからハリウッドに引き抜かれた天才
ロマン・ポランスキー夫妻が隣人です。シャロンとポランスキーがプレイボーイマンションの
パーティに行けば どういうわけか スティーブ・マックイーンが・・・未だ生きてたっけ?
いやいや 余りにも瓜二つのダミアン・ルイスが演じていて 後でホッとしました。
そしてブラピ演じるスタントマンのリックは チャールズ・マンソン一味と一悶着起こします。
最大のショックは 劇中ドラマに出てくる10歳の名女優 トゥルディです。
トゥルディを演じるのは ジュリア・バターズです。実際10歳の名女優です。
イザベル・アジャニを『アデルの恋の物語』で観た時以来の衝撃を受けました。
完璧な美しさと視線と囁きの美学を自然に振る舞うミューズが
スクリーンに登場した瞬間に久しぶりに いや もう今生二度とないだろうと思っていたから
衝撃は半端無かったです。『ミツバチの囁き』のアナとは別次元です。彼女は飽く迄も
美しい子供でした。天使だった頃を忘れていない子供は今でもよくいます。ただ
あそこまで完璧な美貌の子役はざらにいるわけではないので 監督も困ったでしょう。
但しジュリア・バターズは既に 女優として監督タランティーノに現場でワンシーン
追加し撮影許可を得るのに正式な手続きをするために監督のオフィスを大混乱にさせました。
『都会のアリス』も主演のアリスを演じた10歳の少女が素晴らしかったけれど
それはどうやら監督としての宿命と関係がありそうです。宮崎駿が『千と千尋の神隠し』を
撮ってしまったのも監督としての宿命星で 10歳の少女へのオマージュでした。
『凪のお暇』でも坪井敏雄は うららという10歳の少女を完璧なショットバイショットで
撮影してしまう宿命の星の下に生まれていました。『凪のお暇』は白鳥玉季さんの
ドラマであったと 後年評価されるのも致し方ないことでしょう。坪井さんおめでとう
あなたは宮崎駿でありヴェンダースでもありうるのだよ。タランティーノはテレビドラマで
ジュリア・バターズをみそめていて オーディションに招いた。坪井さんもそうかもしれない。
『凪のお暇』は 土井演出が7話だったが8話が明らかに土井さんのカメラワークがあるのに
クレジットは女性の名前だったのが 気になる。3人会話のショットをゆっくり移動し同軸上のアップを
アクションつなぎしたのは土井さんしかいないだろうにね。
まぁ うらら うらら うらうらら と山本リンダしている人々は世間に多いだろう。
ここらで 『ワンハリ』に話しを戻そう。
多くの人々は 観る前に『バッフアロー69』より面白くないのじゃなかろうか?
とか あぁぁ シャロン・テートかぁ 陰惨たる気分にならざるえないのかな とかね。
そんな心配を私はしたのだが ネタバレだけど書いてしまおう!
映画館から出る時 私は痛快だった。タランティーノは男だ!なんたる男気だ!
事実なんざくそぉくらえッ!映画の持つ役割として危険な使われ方しかしたためしのない
権力者が事実を捻じ曲げて大衆を煽動するために映画が果たしてきた魔術師としての役割を
こうして事実を捻じ曲げてでも美しきシャロンのために映画を創ることで
魔術師としての映画の役割が 奇跡のように昇華されていくカタルシスに 私は酔った。
或る意味でタランティーノは 映画を救ったのだと私は思う。
勿論 シャロン・テートを我々の記憶の中で最高に美しいハリウッド女優の一人として
蘇らせたのも まぎれもないタランティーノの勝利である。結構ハードボイルドな振舞いだぜ。
そして頭の片隅で ヴォネガットがこの1969年は『スローターハウス5』の復刊で
嘘みたいに大人気作家になっていく年でもある。『凪のお暇』で三田佳子さんが演じる
佐藤緑は ひょっとすると漫画原作よりドラマが先行してしまうので
ヴォネガットの傑作『ジェイルバード』のショッピングバックレディに身をやつす
ハートを持って生まれて来た人々が信じたことを信じるハートを持って生まれてこなかった
お金持ちだったりするのかもしれませんよね。
久しぶりにパソコンのキーボードを叩いたので 構成がグチャグチャです。
さらに 妄言多謝。
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『重版出来!』と『獣になれない私たち』感想 [映画 ]

今更ジローっすね。いづれも 野木亜希子さんのシナリオ。
そして TBS『重版出来!』の主演をつとめた黒木華さんが
NTVの『獣になれない私たち』では なんじゃなめくじかぁあ
っつー女性の役でした。でね。私は去年 大好きなガッキーだし
松田龍平だし 期待してたわけです。しかし なんじゃあこのぉ を
黒木華さんが 余りにも役になりきって すんげーことになっていて
とてもじゃあないが いくらガッキーが相変わらずクールビューティでも
なのにも関わらず 可愛らしくても 人が良すぎるだろうが になる。
松田龍平さんは なんだか今回はボンボンじゃないんだ。
裏あるなこいつ。しかも二人がいつも遭うのは ビール屋かぁ。
下戸の私には それが魅力というより ビールはあかん 
あきまへんねん いっちゃん苦手なやがな。
世の中変わって ビールのラベルに ビール飲んだら健康被害という表示でも
せーへんかなと ゲロ電に乗り合わす度に思うほど あかんねん。
という感じで遠ざかり3回観て やめました。
ガッキー出てるのにね。龍平氏 出てるのにね。
なんじゃ 黒木華っつーのは と思ってました。
だから シネマ研究会の先輩・黒羽さんから 
『重版出来!』は 結構いいんだよ と 聞いてはいたのでありますが
ともあれ。 
日体大柔道部出身の漫画編集者の話というので
Tverで見かけたし、試しに初回を観るかと。
そうしたら 野木脚本はいいし、土井演出は ショットバイショットで
アクション繋ぎが文法じゃなくて呼吸になっている。
しかも ん! これって黒木華だよね。いや あの朱里とかいうなめくじ女子
演じてたのは別人28号の同姓同名か? と思うほど全く違うぞなもし。
『獣』のほうは はな で こっち はる 双子か?
なわけない。 くろきはるさんでんがな。
ベルリン国際映画祭で助演女優賞いきなり獲った方ですがな。
なるほど 流石だね。
ベルリンは。見る明徳がある。
カンヌやベネチアとは違うな。
信じられるのはベルリンだ。

まぁ それはそれとして 『凪のお暇』観よっと。
『獣になれない私たち』も題名がなぁ 朱里というケダモノが
一匹おりましてそいつをそれでも見放せないニンゲンというのも
確かにこの世に存在している。獣になってどーすんだよ。

 それが人間である事と何の関わりがある? これを あたしゃ ギリシャ語で言える。古代ギリシャ語だけど。
ユマニストの合言葉です。ユマニズムというのはヒューマニズムと
と同一ではないのです。ユマニズムは「人間主義」と訳すべきで
ヒューマニズムというのは黒澤明の「羅生門」みたいな できもしない
博愛主義と訳すべきでしょう。つまり 芥川龍之介の「羅生門」は
かろうじて人間主義で終わります。しかし黒澤明はあーゆー風にして
俺ってヒューマニストだからして と胸張るような と
区別してもらえば いい・・・・わけはないので 
冗談です。信じちゃ駄目です。 
ただね。 所詮 獣の遺伝子持ってる人類が
かろうじて必死で 人間たろうとしているわけです。
しかし それが 困難極まる。
だからかなぁ 野木さんの脚本としては
『アンナチュラル』の方が 私は向田邦子賞対象作品だと思った。
『獣になれない私たち』は 確かに 黒羽さんの仰るとおり
最後の3回は 凄かった。ビール屋も気にならなくなった。
ビールってうまいのかなぁ なんてこの私が思うようになるほど
新垣結衣さん演じる晶さんと元彼のオッカサン(田中美佐子さん演じる)
そして黒木さんの朱里さんが 人間であることとはつまりこういう
ことなんだよ。という妙に明るい展開に一挙に持っていったのは
成程 向田脚本的っていえばそうか。『冬の運動会』っぽいか?
最終回になると 松田龍平さんが やっと本気で笑える場面があったしね。
いつも能面のような彼が 本気で笑う瞬間は あれは演技じゃない。
龍平に本気で笑えるショットを演出できるかできないか
シナリオ用意できるかできないか 各位の力量は試される。
ラストシーン 風の音だけにした方がよかったねぇ。
鐘がちょっと傾いたじゃん。
『アンナチュラル』の『レモン』ほど芸が無い
こうるさいラブソングをナガスナヨと哀しくなった。
ジャニーズか? まさかね。忖度?スーザン・ソンタク?

たかが テレビドラマじゃねーか。
されど テレビのあのくっだらねーバラエティ番組出てる奴等だって 
豪邸たてるほどギャラ稼いでいるんだ!
バラエティ番組観て エヘラエヘラして莫迦になる暇があったら
ちゃんと創られたテレビドラマを観るべきだろう。
その筆頭が『いだてん』だけど。
阿部サダヲ こうるさい役をこうるさくやらざるを得ないけど いい。
流石クドカン脚本だ。
大河なんて勝てば官軍歴史モノ好きな方々は放っておけばよいのだ。
小栗上野介がウォーターハンマー用意してなきゃ日本海海戦で
バルチック艦隊に叩きのめされていたってのが本当の歴史なのだ。
西郷隆盛が偉くて明治維新が素晴らしかったなんて んなアホな。
そんなあほいのほおいがお好きな市民ばかりだといけないから
宮藤官九郎センセイが 嫌々だったろうけど 引き受けた大河だ。
『いだてん』をオワコンとか言っている方々こそが もう終わっている。
人間になれない獣だ。
妖怪人間ベムってのが あったな。早く人間になりたい。健気な妖怪たち。
ヒューマニストを繕うけれど ユマニストになろうとは思わないケモノたち。

ところで
ビックコミックオリジナルのコラムで凄いのがあった。
7月20日号だから7月5日発売の。
『卑弥呼』の中村真理子画伯の絵が エイトマンの
桑田次郎画伯のアメコミ調で一目惚れして オリジナルを毎号買うようになったが
白井聡さんという方のコラム。「これが令和の政治戦略?」に驚いた。
政治学者の方が肩の力を抜いてお書きになったのだろうが
まさしく慧眼である。朝日や産経など購読する必要なし。
みんな月2回ビックコミックオリジナルを
配達してもらおう!『昭和天皇物語』や『赤狩り』もいいし
月1回だけど黒鉄ヒロシセンセイの日本ノ本? 内容は
ちょっと首を傾げるところもあるけど まぁ黒鉄さんの絵だもの
観て損は無い。この人の絵は。 岡本一平さん的なのかなぁ
んーナンダコリハ ゲージュツは爆発だぁの太郎さんの御父上の一平さん。

 それはさておき。白井聡さんのコラムについては 又 後ほど。

今 『凪のお暇』を観ましたが 思った通りだ・・・・・すばらしい!の一言。
三田佳子さんが ヴォネガットの『ジェイルバード』に出てくる
ショッピングバックレディ的な 存在になるような気がしている。
だとしたら すげーことになるけれどね。

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『イメージの本』と『運び屋』 [映画 ]

ゴダールの新作とイーストウッドの新作?
なんせイーストウッドは既に次の作品を撮っているかもしれないので「?」付。
『イメージの本』は殆どが他人の作品を編集し、ゴダールの試論、エセイアを
自身のナレーションとそのスポークンタイトル(サイレント映画の字幕)で成立している。
再構成能力に長けたゴダールは自らを「編集台で映画を創る映画監督の一人」と
若い頃から自負していた(トリュフォーがフランスで起きた洪水に際して少人数のスタッフと
手当たり次第に見かけた俳優たちを連れて撮ったフィルムをゴダールが編集し 台詞や音楽
ナレーションを再構成した『水の話』が有名)
嘗て サイレント映画時代に ハリウッドを支配したのは プロデューサー達だった。
彼らは 編集権を独占し シナリオ作りから監督たちを指示し 試写で
思ったような反応がなければ 彼らが監督を他所にして映画を再構成した。
極端な話 悲恋物語を喜劇にしてしまうことだってやれた。
スポークンタイトルというもう一つのショット(画面)が、弁士という後付音声技師たちが
それを可能にした。サイレント映画を経て音声付の映画になっても
いまでも ハリウッドでは 映画監督に編集権があるかどうかは エグゼクティブディレクターの
一人としてクレジットされていなければ 無いのである。
映画が一挙に巨大産業化した中で 映画の父と呼ばれるに相応しいディビット・ウォーク・グリフィスは
スタジオ経営会社という巨大産業との折り合いを付けることに失敗し続けた。
グリフィスが創った全ての映画技術は 会社組織と会社を支える銀行と弁護士によって
勝手に ユニバーサルだの21世紀フォックスだのという映画よりカネを愛する者たちが
権利を奪い取り未だに 我が物顔でサーカスの興行主上がりが 映画界を支配している。
そういうものだ。 アメリカ合衆国の全ては 良くも悪くも そういうものだ。
さて。
ゴダールの『イメージの本』という変な題名の映画は
私には こう言っていたとしか受け止めることができていない。
つまり「映画監督にはモンタージュ理論の作家とショットバイショットの作家の2種類しかいない」
これは 概ね私の誤解だろう。殆どウトウトしながら観ていたのだ。
タルコフスキーの映画を観ている時のような状態になってしまった。だからこそ書くのだけれど。
ショットバイショットの作家とは たとえばジョン・フォードや溝口健二、小津安二郎といった
アングルで物語るために撮影してしまう映画作家たちのことだ。
溝口や小津は判り易い。どんな横暴なプロデューサーが撮影後に勝手に編集したり音声を
変えたりしようにも 彼らが撮影した通りに編集しなければならない。
フォードは切実にそれを目的に(勝手に編集変えされないように)このショットとこのショットを
繋がなければ スムースにストーリーは語られることは 困難だ そういうように撮る。
カメラ位置 被写体とカメラの距離感 アングル上の美しさや繋がり具合
ジョン・フォードは 絵コンテなんぞ予め用意しなくても 撮影現場でその判断を指示できた。
悪い意味で無く アメリカ合衆国の職人気質とは 悪い奴等と闘う為に出現する。
アメリカ合衆国とは つまり そういうものなのだ。
別段 ハリウッドほど横暴なプロデューサー、タイクーンと呼ばれるような撮影所所長など
東映を除いて日本映画の会社には存在しなかった。松竹なんざ監督主義を撮影所所長の城戸四郎が
明言していたぐらいだ。但し 松竹のフィルム管理はいい加減で『東京物語』のオリナル編集ネガを
早々に損失してしまい現在我々が観ている『東京物語』は上映プリントを急遽もう一度ネガにしたのを
プリントマザーにしたので 冒頭の数カットが欠けているそうだ。
それはそれとして。
ゴダールは 編集台にしがみ付く作家として モンタージュ理論の作家として
ドキュメンタリー映画の作家のように再構成能力を改めて発揮するしかない。
『イメージの本』で 溝口の『雨月物語』から 轟由紀子演じる陶工の妻が
戦乱の都に渋々夫たちとやってきて 悲劇に襲われるシーンを引用していた。
溝口のワンシーンワンカットは ドキュメンタリー的とか勘違いされがちだが
全く溝口にはそんな意志はない。溝口はアングルで物語る為に
恐ろしく厳密にセットを拵えさせ 移動車とクレーンを合体させて
俳優たちがスタジオに入る前にスタンドインでリハーサルを綿密に行っていた。
つまりショットとショットの繋がりを以て アングルで物語るために
溝口健二は ワンシーンワンカットで撮るべきだと判断し
そのためには その手法で物語れる物語を選び シナリオをシナリオライターに
書かせるべく 手紙責め 電報責めにして 叡知を絞り出させた。
もしかすると 溝口は絵コンテを描いていたのかもしれない。
昨日TBSの3年前のドラマ『重版出来』を観ていたら 漫画家たちが「ネーム」と呼ぶ
絵コンテシナリオのようなモノを 溝口が描いていてもおかしくないと思ったのだ。
溝口は画家になろうとしていたし 小津もそうだった。
オーソン・ウェルズは半ば画家になりかけていたが 俳優に目覚めてしまい
やがて映画監督にもなる。ショットバイショットの映画監督だ。
タルコフスキーも美術大学に入ってやがて映画大学に入り直す。
フォードは 小津同様 助監督になる前に カメラマン助手の期間が在る。
オーソン・ウェルズは 編集権を奪われたまま『偉大なるアンバーソン』を
『市民ケーン』の後に撮る。そして ディレクターズカットも未完のまま
3本目の映画のロケに出発している間に スタジオのタイクーンによって
駄作と決めつけられ 長すぎる!という指示のまま 編集マンによって
半分ぐらいの長さにされて 公開された。 しかし プロデューサー指示に従って
編集した編集技術者は 驚く。シーンを丸ごとカットしてもこの新人監督は
それでも物語れるように撮影をしていたのだ。その編集マンは後年
『サウンドオブミュージック』を監督する、ロバート・ワイズである。
私は『市民ケーン』がグレックトーランドによって撮影された傑作であることを
祝福している。しかし トーランドは『偉大なるアンバーソン』も撮影する予定だったが
交通事故だったか・・・この世を急に去ってしまった。ウェルズはこの作品を
自分の作品目録から外すと言っていたが それは止めて良かった。
私は『偉大なるアンバーソン』は 『市民ケーン』以上に素晴らしい作品だと
初めて観た時に喝采した。『フォルスタッフ』の次にベストだと思う。
イーストウッドの『運び屋』は 無論 ショットバイショットの映画作家の作品だ。
北野武監督や枯れ枝監督や今村昌平監督や黒澤明監督のような無造作なショットは
職人気質として許さない律義さには ただただ 頭が下がる。
冒頭の花を採取する老人の腕と裁判の後 老人が採取する花が 同じだったかなぁと
観客に数秒思わせ ゆっくりカメラがロングショットにひかれていくと・・・
お判りでしょうか? アングルで物語る意志を以てストーリィーテラーという
職人を勤め上げるとは ショットバイショットの映画とは そういうことであります。
勿論 ゴダールもショットバイショットの映画作家です。自らドキュメンタリー作家に
なりにジガヴェルトフ集団と共にパレスチナに向かった頃は モンタージュ理論の作家でした。
『ヒァアンドゼァ』で パレスチナの美しい女性戦士の証言を撮影している時
ゴダールは 女性戦士に向かって 「目線をこっちにくれ」と無意識に叫ぶ。
次の瞬間 「俺はドキュメンタリー作家じゃない」という懺悔の声が録音所で録音される。
イーストウッドは 老いることを忘れた映画監督として俳優として
素晴らしいプロフェッショナリズムを徹底させている。プロフェス=公言する
つまり 漫画家なら漫画家として公言できるだけのことをしています と言えるのが
プロフェッショナリズムである。職人気質と同意語である。
『重版出来』というドラマは 漫画編集者というサラリーマンの物凄い
職人気質の葛藤を漫画家という職人気質の塊たちを描く見事なドラマだった。
本屋さんの店員さんにも物凄いプロフェッショナリズムを持った人がいるものね。
90歳の麻薬の運び屋が プロフェッショナリズムを発揮した哀しい米国の現状に
胸を痛めつつ それでも希望の光を 微かに見せてくれる名作を
映画館の片隅で観られた幸福に 感謝感謝でございます。 
日本の映画作家諸氏頑張ってくださいね。
ところで。
TBSの土井裕泰ディレクターと坪井敏雄ディレクターが
『カルテット』以来のタッグを組んだ『凪のお暇』が 
19日金曜 『インハンド』の後番組として始まりますが 上記ディレクター方々は
プロフェッショナリズムをショットバイショットの映画作家として発揮できる
数少ない才能の持ち主ですので 私は 愉しみにしております。
『重版出来』の土井ディレクターの最終回までの三話は澱みなく
アングルで物語りをしているので 立て続けに観てしまった。
黒木華さんもガッキーに見えてくるから不思議だ。
というか このドラマがあったから『逃げ恥』は
『カルテット』は あぁ なるほどね と思い当たった。

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冬ドラマ 終わりましたねぇ [映画 ]

『アンナチュラル』は怒涛の最終回。
そして中堂系に 非業の死を遂げた恋人の父親から
「あなたはもっと生きて下さい」と
深々と一礼されるところで UDI存続の流れへと至る。
感情教育として正しいなぁ。
そして続篇乃至シリーズ化の要望が多いのも頷ける。
法医学ミステリーだから
脚本の野木さんは大変でしょう。
ところで『地味で凄い校閲ガール』は野木さんの
脚本じゃなかったですね。tVerでチラッと観ましたが 
石原さとみさん やはり コウエツ役 はまりでした。
しかも結構ミステリーになる。といって怖いミステリーではなく
知的な謎解きが出来るところは 原作の頭のいいところです。


『anone』は 亜乃音さんのドラマでした。
広瀬すずさんのファンはちょっと離れてしまいました。
彼女は狂言回し 『カラマーゾフの兄弟』の
三男アリーショワのような役回りでした。
田中裕子さん演じる亜乃音の自己犠牲が 多くの人から共感よりも 
今時の世間にかけ離れた存在としてか映らず 
それが原因で視聴率を下げたりしていたのなら 
今時の世間が かなり絶望的な世界であり
そこで棲息しなくてはならない我々は お互いにお生憎と
言い合うしかないです。
視聴率の低さが当てにならない上出来でしたが 
まぁ 贋札は不発に終わり
贋の家族は存続するのですから 
とかくこの世は棲みづらいと嘯きながら
流れ星に喜ぶ贋家族へ 祈りを込めましょう。
それにしても 広瀬すずさんも彦星君も 前髪長すぎる。
目の芝居を禁じる演出だとしたら やりすぎだなぁ。 
小林聡美さんと阿部サダヲさんの中年カップルによる
純愛劇が面白かった。この二人ならではの良い味が出てました。
ついでに 火野正平さんと田中裕子さんのカップルも誕生するかと
思っていたが 自ら罪を認めた亜乃音さんと弁護士が懇ろとなる訳にもいかず
『カルテット』ほど 坂元脚本が 冴えわたる展開とは 言えないかもしれない。
瑛太さんのリプレーもサイコパスに徹して逃げ切れなかったし。
そもそも テレビ局として贋札が成功して 
瑛太さんの中世古が逃げ切る結末を描くわけには いかなかったのかもしれません。
そして贋札で儲けたカネで
仮想通貨の胴元になって更に悪魔の高笑いなんて結末は 無理ですよね。
映画だとそういう結末は アリなんですけどね。

おまけ ☆ 『逃げ恥』♪♪
 ツタヤでやっと借りられた『逃げ恥』を一話観直しましたが
クククク やっぱガッキーは森山みくりが一番可愛いなぁ
これは不滅だ。前年に『掟上今日子』でクールビューティを
銀髪ウィッグと黒縁眼鏡で美貌を隠しても 尚 発揮していますが
今夜観た回では 両親宅に逃げ帰って妄想みくり情熱大陸出演者
「ニート女子」で敷きっぱなし布団の上でゲームし 
ごろんと横になって片手で頭を支えて インタビューに応える図。
小さなテーブルにカップ麺山積み 食べ残し放置という腐女子ぶり。
髪も寝癖し放題なんつー姿すら きっちり新垣結衣さんは 演じ分ける。
バスガール姿の妄想ミニみくりも チャーミング。
そして ラストのダンスは そこだけ繰り返し観ていたくなる。
ここまで完成度高かったのかと つくづく思い知りました。


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掟上今日子 観ました。 [映画 ]

遅まき過ぎるのですが 漸く。

シネマ研究会の先輩、黒羽さんによれば
掟上今日子のガッキーは 
リーガルハイの黛真知子以来
逃げ恥のみくりへと続く彼女の
女優と言う職業へのハードボイルドな姿勢に
感動せざるを得ない ということでしたので
観たかったのですが 如何せんツタヤで借りるのに
大層時間が掛かりました。
黒羽先輩の仰せの通り 掟上今日子は 
日テレが制作したとは思えない程 
野木亜希子さんの脚本がしっかりしていて
しかも原作の設定した『忘却探偵』が
この地上時空に生きる儚さ、身を斬るようなせつなさへ
容易に観る者を連れて行く頭の良さで 感動的でした。
逃げ恥の無理な設定をスクリューボールコメディとして
逆手に取る辺りも 私は プロの仕事として大いに
敬意を払って止まないのですけれど。

 忘却探偵の儚さに懲りずについていく隠館厄介くんを
演じた岡田将生さんが 素晴らしかったとも言えます。
掟上今日子なる女性が 如何なる恐怖を体験して
脳機能を混乱させ 一夜にして白髪になったかは
今のところ永遠の謎ですが 明日になれば今日のことは
すっかり忘れてしまう彼女の脳内で繰り返される
地下道疾走の映像が 繰り返され 続篇の匂いをさせて
今年辺り・・・・来るんじゃないのかなと思います。
それにしても岡田将生さんという俳優さんは
リーガルハイの時も素晴らしかったけれど
この作品にいおて 彼が厄介を演じなければ
果たして今日子の儚さを此処まで観る者に感じさせることは
無かったでしょう。
しかも十頭身だし声の質も役者として武器になる美男俳優です。
新垣結衣さんと並んでいて ハリウッド的なフォトジェニーを
幾らでもショットとして成立させることが可能でした。

そして新垣結衣さんの長台詞こなしはリーガルハイ以来続いています。
これは 彼女の意図した事ではありますまい。
事大主義な言質になってしまいますが 彼女にそうさせているのは
ハワードホークスという未来からやって来たと
言わざるを得ない存在、戦前から 映画の可能性を開発してしまう
不可思議な存在、つまるところ映画の神の為し技ではあるまいか と。

ホークスは『ヒズガールフライデー』という速射砲の如く
台詞が飛び交い台詞同士が重なり合ってしまうコメディ映画を
1940年代、トーキー創生期に制作監督しています。
誰もが長台詞などタブーだと思っていた時代にハリウッドで
ホークスはそんな常識を蹴散らし興行的に
大きな成功を収めています。
そんなホークス的な何物かに新垣結衣さんは
期せずして 愛されているらしい。
又 ホークスの影響を最も強く受けているゴダールが
ホークス的な映画として作った映画の主演をした
アンナ・カリーナにガッキーは外貌的にも似ていると
私は思い込んでるのです。
私が若い時は 夏目雅子さんがアンナ・カリーナ的存在だったけど。

さて、余談になりますが
私も『繭の時間』という小説の中で
主人公の女性が 今日子さんの如く
脳機能にまで異変を来すことなくとも
一夜にして白髪になる恐怖体験をしたことで
探偵・・・ではなく、ストリッパーになる女性の話があります。
95年ぐらいに書いたものです。
その小説では
年下の男に繭の時間を提供することで
自分の恐怖を乗り越えることを 
主人公が知っていたのか、予定調和でしかないのかを 
あえて宙ブラリンにして書いてみたけど
この掟上今日子という推理小説も
宙ぶらりんという余韻の中に 読者が創る物語を
意図的に残しているのかもしれませんね。
更にその宙ぶらりん状態、判断停止エポーケーを
読者や視聴者に仕掛けていました。
劇中に登場する推理小説の大家が
自分の人生において 17歳で早逝した恋人を
シリーズ物でない単独作品に脇役で登場させ
この推理作家は生涯独身を通し、
自分の小説作品の中で添い遂げるように
そっと描くというロマンチックなサブストーリィ。
こういう仕掛けに思わずホロリとするのは 
私も老いたのだなと実感いたしました。

★ 暫し 一時的に隠しておいた 栗庵流人(短篇『灰色の肌をした異星人』)などを   復元しておきました ★
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この冬も坂元脚本ドラマですね [映画 ]

去年は『逃げ恥』の猛烈なガッキー旋風の後
直後の『カルテット』という素晴らしい
想定外のドラマ盛り上がりでした。
この冬は さて どうかしら
そう思っていましたが いやはや
日テレですら 坂元裕二さんの脚本だと
フィルムタッチで 暗部の多い画作り
風力発電の終末的な有り様
お金を巡る発狂を こういう風に仕上げるかと
呆然としながら ヴェンダースだな
と 勝手に想いながら感心している。
ヴェンダースの『パリテキサス』と
『アメリカの友人』がセットになって蘇えってくる。
そして 贋札づくりだ。リプレーは坂元さんが
瑛太さんで完璧にやる気だ。
で 宮藤官九郎さんの盟友、大人計画の
阿部サダヲさんが いいのだ。
スタイリストへの水田監督の指示、ディレクション
素晴らしい!ダッフルコオト着て
人質になるなんてセンスいい。音楽もヴェンダースだし。

 イイ脚本だと 画作りに困らないのは
昔から定石だ。 

このクソッタレな世界を
愛おしい光景、つまりショットにして魅せる
技術というのは 感情教育を目的とする
映画やドラマにおける 職務みたいなものです。
その職務全うの気高さを感じ
私は 敬意を表してやまないのであります。
このドラマに参加したスタッフキャストの方々
よかったね。おめでとう。こんな職業上の幸福は
そう滅多にはないはずだから坂元大先生に感謝してね♪

 『anone』は a none だとしら どう翻訳しますか?
私の貧しい英語力では わからない。

 奈々緒さんがちょっと観たいので『BG』を観たけど
破滅的な脚本で もういい。
木村拓哉さんは
お医者さんと衣装が変わっただけね。
まぁ 高倉健さんと自分は同じと肚を据えたほうが 
いっそ潔い。頑張れ と呟いておこう。

おそらくシナリオライターの力量の問題もあるけれど 
シナリオコントロールできる優秀なプロデューサーが不在であり、
監督もそんな権限を委ねられていない状況が判る。

 競合分析をし ターゲット設定をある程度調査し裏をとり、
ターゲットを完璧に描写把握して
尚且つ 現在のトレンドの何とマッチングすべきかを
明確に説明できる文章を書けるか 言葉にできる人、
その上でキムタク起用を成功させる戦略を明示できる存在
それがプロデューサーであり
広告業界で言えばクリエィティブディレクタ-である。
ラグビーで言えばスタンドオフだ。
そういう人がいない現場だというのが 明らかに判る。
日テレは 坂元大先生にマルナゲドンにして大正解だった。
下手に日テレの局プロなんか入った日にゃ・・・・。

 『アンナチュラル』は野木さんオリジナルかな?
第三話は 異常に面白かった。斉藤洋介さんが
余りにも老けていたので 驚いたけど。

「カビの生えた古い解剖技術でした実績と
 俺の最新技術でしている実績を量で比べるなんて
 おまえ いい加減すぎる。日本の検察官なんて
 そんな詭弁を弄ぶのが仕事か」
みたいな 滅法小股の切れ上がった台詞が
井浦新さんでやってました。石原さとみさんじゃない。
ただ どうしてこう複雑さを絡ませ捲るのだろうか?
このドラマの登場人物も
どいつもこいつも劇的背景を背負ってやがる。
私も小説やシナリオを書く時 ホリという登場人物の
詳細なノオトを事前に用意します。特に長めのを書く時は。
だけどそれは概ね自分で映画にし 監督する時
役者さんに読ませる為でもあります。
が しかし
やはり其々の登場人物があたかも憑依しやすくするための
大切な仕込みです。だけど ありとあらゆる登場人物の
ホリを活かそうとするとそれは一つのストーリィだけでは
無理ですよね。或る主題、テーマに全ての物語が
最終的に収束されていくのなら分るけれど。

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