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コラボモンスター観賞文又は表層批評 [映画 ]

昨夜 渋谷の円山町にあるオーディトリゥムにて。
開場20時45分 上映21時~22時40分?

西山洋市監督 『kasanegafuchi』27分
古澤健監督  『love mashine』 27分
高橋洋監督  『旧支配者のキャロル』47分

短篇映画3本連続上映のスタイル。
☆以下文章中敬称を略することをお許し頂きたい☆

西山と高橋は私と早大シネマ研究会の仲間。
古澤は同姓同名のCМディレクターの大先輩がいらっしゃるが
その古澤健さんは今 青山でbarの店主である。
別人28号であることは事前に知っていた。

『kasanegafuchi』
出演者に覆いかぶさるような木々の仕草や
山奥の沼だか湖が 水面を鏡にのっそり現れる振る舞い。
開巻から按摩笛がピューヒャラ鳴り響く。
私は 西山が つげ義春化しているようで
少し身構えてスクリーンと対峙していた。
会場で配られるライナーツノオトは事前に読まない性質なので
私はそのまま つげ義春の漫画を読んでいる気分に
多少の居心地の悪さを覚えながらも 寧ろ
つげ義春の師匠である水木しげるが原作かな?と思っていた。
そして同時に 漱石の『夢十夜』第3夜
六つのこどもを背負っていた。ではじまる前世の因縁噺を
連想していたのも確かな事である。
帰りの電車の中でライナーツノオトを読むと
原作は三遊亭円朝の『真景累が淵』であった。
つまり 漱石の第3夜と同じであろう。出処は。
因みに 漱石の夢十夜中 第六夜は 明らかに
荘子・達生篇「梓慶一節」のアダプテーションである。

悲劇としてのギャグを西山は映画にしているという。
ホークスは 喜劇とは懸命に悲惨な状態を凌ぐ姿だと
定義し ホークスの演出は敢えて俳優を追い込み ひたすら
本気で走らせたり懸命に異常な長台詞を早口で喋らせたりしたという。
だが 西山は 映画のメタファーとしての定義を
悲劇としてのギャグとしたのである。小津の映画をギャグだと感じる人もいる。
そうしてパロッて遊んでいた人は大勢いる。
賢明な西山だからそんな事を定義したいわけではない。

だからこそ 私が上記の如く表層的に感得したのは
円朝でなく、つげ義春だったのである。
他の2作が女優の映画だったのに 
本来「女の子にはあくまでも優しく」主義監督の西山が
そちらをお留守にしたのは どうしても 痣に拘ったからだが
それはちと寂しいのであるよ。
西山が20代で監督した
ドラマドスの題名は失念したが ロラン・バルトの
『恋愛のディスクール』に在る離人症という精神障害を
基にしたサイコサスペンス恋愛ドラマを知る者としては
円朝よりも 志ん生の艶笑噺を現代の若者の群像にあてはめて
映画にしてもらいたいという欲求が 観た後 強烈に沸き起こった。

又 主人公・とよが隠れる山奥の一軒家は 崖と細い車道に
並行して建っていた。あのロケーションがあって
なぜ西山らしいゴダール的なフィックスロングショットで
崖と車道と小さな崖と家屋を左から順に真横のアングルでとらえ
俳優たちを縦横無尽に走らせたり、転がしたりしなかったのか?
そういう疑問が 残ってしまった。

『love machine』
本来なら西山監督が得意とする題材はこっちか?
この話も淀川vs蓮實&山田『映画千夜』にあった
キング・ヴィダーの幽霊女噺を思い出させてくれた。
そしてその同じ噺から肝心の幽霊惹起を排除して
小津安二郎は『早春』を撮った・・・・と私は解釈している。

まず 小島可奈子さんという女優が ウルトラセブンの
アンヌ隊員=ひし美ゆり子さんに見えたのは私だけだろうか?

ラストショットの夕陽と波と風が ただ単なるフォトジェニックだから
素晴らしいのではなく 見事にこの喜劇だか悲劇が
太陽と海と共に蕩けちまった瞬間を画として成立させている
ショットだから素晴らしいのである。
あの夕陽と富士山と風と波を待ち続けたとしても才能だし
偶然だとしてもその運の良さも又 誇るべき能力である。

『旧支配者のキャロル』
小島さんもそうなのだが この映画のもう一人の主役を演じる
中原翔子さんもひし美ゆり子さんが女優復帰したんかいなと
冒頭でギョッとしたのも 私だけだろうか?

まぁそれはそれとして。高橋がラナーツノオトに書いている事とは
全く別個の事を 私は観ていた。感得していた。監督ではないぞ!
つまり題名から私は 数学者のルイス・キャロルが浮かび 成程
不思議の国のアリスの原作者はロリコンの上サディストだったということを 
松本若菜さんという美形の女優を使って物語ったのだなと感心した。
こんな事を書くと「又 勝手な思い込みを」と高橋は怒るだろうが
いいや 書いちゃえ。不思議の国のアリスってどうしても変態というか
エェェッという不気味さが 潜んでいるでしょ あの物語には。
そーゆー意味でコワイ映画でもある。
一方で タルコフスキーの『ノスタルギア』にある
あの灯明往還を長々と繰り返すくだりにおける透明な閉塞感が
妙に画として成立していて あの味わいがあって素晴らしいし
ヒロインが 階段を駆け下りたり駆け登ったりするショットが
川島雄三と成瀬巳喜男が共同監督した『女が階段を登る時』の
シンボライズされた美術セットではないのに
どういう具合にだか 私の目に表層として彷彿としたのは
女と女の争い物語だからという短絡的な連想だとは思えない。
高橋洋のことだから 映画的教養として自然にそうしてしまうのだと思う。

※上記文中 女優方々の敬称を略さなかったのは
私も西山君、高橋君そしておそらく古澤君と同様、
川島雄三の「あくまでも女の子には優しく」主義が
人生の振る舞いだからである。実際のところは
単なるどスケベマンではあるが フェミニストではない。
そういう生活信条のようなものなので 
重ねて御寛容願い奉ります。

※ 各監督と知己なる方々は 各監督に連絡を取って
前売り券を特別購入する特権がある。この機会に
その特権を行使することで 夜9時に渋谷のラブホ街で
コラボモンスターなる映画の試みを鑑賞するのは
浮世の沙汰に、ある清涼を得るでしょう。
勿論 映画監督を目指す若い世代は 映画美学校という
映画監督養成講座の実力を見聞する又とない機会になりましょう。

5月25日土曜まで開催。


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