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フェルメールと小津 [美術]

フェルメールの静かな光に満ちた世界は 消失点を決め

モデルをその消失点を目安に立たせ そして小物を配し アングルを固める。

そのとき 彼はフィルムのないカメラのようなものを 設置し

レンズ越しに 目の前の世界をカンバスに写し取る。光の粒を求めて。

そして近年のレントゲン撮影などの研究によれば 彼は ドンドン引き算して

モデルたちをより浮き上がらせる選択をしてゆく。

当時の市民階級を顧客にした風俗画にも 「読み解き」が 王侯貴族を顧客とした

宗教画のように 小物などに意味を暗示させていたのだが

フェルメールはそういう読み解きによる「物語」を排除してしまう。

手紙を読みながら 窓辺の光の中で何度も手紙の文言を小声でつぶやく

女の仕合せと不安の入り混じった気持ちを 美しい光の世界に

永遠の時間と共にカンバスに閉じ込める。描かれて数百年経っても

観る者に 普遍の物語を 語りかける力を湛えている。

このフェルメールのライティングを グリィフィスのカメラマン ビリー・ヴィッツアーは

映画の父と呼ばれることになるグリィフィスに進言するだろう。

フェルメールのような映画を撮った男である日本人映画監督

小津安二郎は フェルメールのように 過剰な物語性を排除し

数百年経っても 観る者に 永遠普遍の感情を静かに揺さぶる可能性を

フィルムに焼き付けた。そして その映画の殆どをカメラマンとして支えた

厚田雄春は カメラ位置とアングルをハリウッドスタイルよろしく

監督の小津に委ね 光、光線の設計にその比類なき技量を発揮した。

それは グリィフィスの相棒でありカメラマンであった ビリー・ヴィッツィアーの

関係を 敷衍しているのであった。


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