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ヴォネガットの誕生日に [小説]

カート・ヴォネガットは もうこの世にいない。

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しかし彼の遺した作品群は
相変わらず このクソッたれな世の中に生きる私や多くの人々を癒しつづけている。
ハイホー! この世には 自分だけが仕合わせなんてありえないという心情を持った人々だけで
国を形成しているのは 私の知る限りアンデルセンの祖国だけであるが
その国にだって クソったれなこの世界に傷つき アンデルセンの童話でなく
ヴォネガットの寓話に涙を流す人は いらっしゃるだろうと想像する。
しかし アメリカ合衆国にはターシャがいた。日本にも英国からやってきた
もう一人のターシャともいえるベニシア・スタンレー・スミスさんもいるし
福岡正信さんも天国に行ってしまわれたけれど 木村さんの奇蹟のリンゴは
今年の酷暑にめげずたわわに実っている。
日本が目指すべき農業の復活復興は やはり自然農法にあると
私は思う。それはなぜか ターシャやベニシアの森ににているのだ。
日本の農政は 単なるビジネスとか経済効率に走ったら失敗になる。
遺伝子操作やら安直な手段は とりあえず 棚上げすべきなのだが
政治家は カネになる農業とか言っている。農業はもっと大切な人間的な作業なのだ。
作物を通して 自然に対する正しい畏敬の念と深い愛を育てる文化なのだ。
その中核を外して ビジネスとしての農業を カネを追い回す愚劣な試みは
日本の自給率も高めせず 失業問題を解決する王道になどならない。
ゆっくりと農政官僚と農政を政治使命と矜持する議員さんは
たびたび ベニシアガーデンと木村農園そして福岡さんが遺してくれた農園に
足を運ぶべきではなかろうか?科学的に微生物との有機的関連を明らかにしても
それは 農民の心配性を保証するためにしか貢献しない。
勿論 無駄ではないが それを徒に効率性へと繋げないでほしい。
農業はビジネスではない。文化なのだ。芸術と同じ存在なのだ。ビジネスとして
成立するのは あとあとだと覚悟しないと 大きな間違いを犯すと私は思う。
とりあえずの雇用問題施作とはなりうるだろうが 農業で食うのは
芸術で食っていくのと同じぐらい平坦な道のりでないという覚悟が必要だろう。
             ※
The Art of the GAMANN 我慢の芸術は 今アメリカのスミソニアン博物館で
多くのアメリカ人を驚嘆させている。今日のNHKクローズアップ現代で特集していた。
名もない日本人移民たちは 折角 偏見と人種差別を乗り越えて築いた財産を
没収されて 強制収容所に押し込められた。
アメリカ合衆国国民が憎悪を募らせたナチスの収容所と同じことを
原爆を使用した国は同時に行っていた。恥知らずな戦勝国であるが
それでも我が国は この恥知らずの国に頼らなければ いびつな大国に脅かされる。
だからと言って 私は くだらないパワーポリティクスなど此処で展開などしない。 
だからと言って 私は 再軍備すべきだなどと軽率な感情論など書かない。
寧ろ 名もない日本人移民たちが 怒りと悲しみを乗り越えて
素晴らしい工芸品を次々と手作りした The Art of the GAMANN の凄さを書きたい。
道具から有り合わせの物をかき集め 創意工夫を凝らして
男も女も 心を込めて 木彫刻 貝で作ったアクセサリーなどなど
先の見えない不安をもろともせず 「とにかく 後ろを振り返って泣いてどうなる
前を見て なにがなんでもなんでもいいから 進むしかない」
彼らはそう自分を励ます為だけに 一日中監視されながら 黙々と手を動かし
ありとあらゆる思考を凝らし 試行錯誤に倦まず弛まず集中し続けたのだ。
自分を励ます 癒すためだけに。せめて自分の家族と同じ不運に見舞われた
同胞の心を和ますためだけに。そして今 長年 その芸術は創り手たちによって
封印されたいたが その遺族たちによって封印は切られて世に出た。
その我慢の芸術を手掛けた人々は 自分の子孫がこのアメリカ合衆国に
しっかりと馴染むように 自分たちが受けた非・人間的な扱いを伝えず
それを思い出すことを忘れるために封印し ガレージの奥深くに閉まっていたそうだ。
そして 今彼らの子孫は 公開した。恨みがましさのかけらもなく
ただ 自分を癒すために 手と心だけを遣いきった芸術が 静かに
傷ついた心を持て余す アメリカ合衆国の人々を癒しているという。
彼らは ヒロシマとナガサキにも足を運ぶべきだ。癒されるためでなく
戦争を避ける勇気の無さを 日本人とともに恥じるために。

カート・ヴォネガットは なぜ小説を書くのか?という問いに
「自己治療!」と答えた。自分を癒す力のある作品は
結局 思いもよらぬほど多くの人々を癒す可能性があると言った。
私もそう思う。ありとあらゆる芸術作品で本当に感動を届けることができるのは
そのことに徹した作品だけが 人々の心を癒す力を持っている。
小説にせよ映画にせよ 絵画にせよ 音楽にせよ。それでいいのだ。
ヴォネガットの誕生日はドストエフスキーが60歳で急死した日付であり
60歳の誕生日でもあった11月11日。 この不思議な日付を
ヴォネガットは 休戦記念日にあたるとシニカルに嗤った。
人生とは そういうものだ。

 

さびしいのは あなただけじゃない8850611.gif

『孤独なんつーのは まっぴらごめんだ』 とも訳せるが・・・。

カート・ヴォネガットがもう同じ空の下にいないのは やはりとてもとてもさびしい。


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