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果たして50分待って観るべきか~オルセー展 [美術]

美術館の外で待たされたわけではないが
館内をクネクネと列を為して 漸く観ても
な~んだ セザンヌのサントヴィクトワール山も1枚しかないし
ルノワールが一所に展示されるどころか1枚もない。
ピカソも構成主義の1枚がセザンヌの対面にあるのが
せめてもの償いのような・・・。
ゴーギャンもアマチュアっぽい習作しかないっすね。
スーラとかドニばっかし。
私の大好きな ドガとロートレックもお茶を濁す程度だし。
フェリックス・ヴァットロンも肝心要の絵が来てないや。
ただ ヴァットロンの自画像は アングルの踏襲を
しっかりしていて なるほどなぁぁぁと唯一感動した。
にしても 日本人はどうして画学生でもないのに
絵を間近で観たがるんだろうか?
ゴッホの白いレストランの絵だって 遠くから観ると
実在するような美しさが分かるのであって
ゴッホがなぜあのレストランを描いたか
あのレストランに対する感動を共有させようとしたのか
間近に観てたら 
あのいたいけなゴッホと同じ感動を共有できませんよ♪
ゴッホのよいところは 死して尚 
ゴッホがある対象に対してしていた
感動や感謝や賞賛がそのまんま 時空を超えて
伝わってくるとこだと 私は思っております。
だいたい 画学生や画家じゃなきゃ 
ゴッホのタッチなんか真似できません。
写実的に描きこんだ下絵があってこそあのタッチが
時空を越えて 実在感をもたらすのですよ。
ゴッホが絵の具を溶くのに何をまぜたかなんて
素人どころかプロの画家でも絵を舌で舐めてみなきゃ
分からんぜよ(笑)
ゴッホがあれだけ命懸けで描いた絵に
どうか失礼にならんように ご鑑賞くださいましね。
『星降る夜』も遠くから観て御覧なさい
・・・ウットリするよ。
間近で観て御覧なさい 
・・・ゴッホがいい加減飽きて
敲きつけてるタッチを発見して何が面白い?

私は学生時代 ルーブルとオルセーに行った際
日本人がぞろぞろ並んで
絵を間近で眺めているのを フランス人が
「なんでだろう?」と不快感を露にしているのを
見たり聞いたりしてしまった。

絵は構図と色の構成 フォルムや線の独自性などなど
ある一定の距離を以てじっくり観ないと
画家がした思考の賜物を受け取れない。
しかも印象派は 思考の賜物が物理学的だから
消失点など 無視して構図を再構成したり
やたらと光学的なのだが 若冲ほど悧巧じゃない。
ジャポニスムが誤解の上に成り立っているところは
微笑ましいのであって 別に我々日本人が誇るほどでもない。
寧ろ 不思議なのは 日本が衝撃を受け続けてきた
中国や朝鮮の美術が ダイレクトに
なぜ欧州へ伝播しなかったのか・・・だ。

ま そんなことも どーでもよいことなんですよ。

あと お子さんの情操教育にはよくないです。
東京都現代美術館のジブリ展のほうが お子様には
余程よい情操教育になりますよ♪
しかも隣接する木場公園は 子供には楽しいもんね。
乳母車に幼児を乗せてまで並ぶかね?と思いますよ。
幼児に思考の賜物を説明するほど英才教育してもね・・・。
却って絵嫌いにするだけかもしれませんな。
「暑い中 わざわざ行列して 此の程度の絵かよ」
私の近くにいた小学生低学年の少年が
そう呟いて 不貞腐れていましたが
彼は 正しい! 私も彼に同感だ!
ご老人の方々も まぁ 観なくても後悔しないはず。
寧ろわざわざ並んだことを後悔するはず。
スーラやドニの大ファンなら ご無理ゴモットモですけど。

因みに暑い寒いが極まる時候は
この新国立美術館は千代田線の乃木坂駅からのほうが
身体的には楽です。六本木駅はね 日比谷線にしろ
あのシェルターかと紛うほどの大江戸線からにしろ
いかがわしい裏通りを覚悟せんと辿り着けない。
大八ラーメンの匂いが好きなら楽しいかもしんない。 
にしても
どうして大江戸線は モスクワの地下鉄のように
長くて猛スピードの一直線エスカレーターを
真似しなかったのかしらね・・・
あのぐらい猛烈なスピードで勾配がキツイほうが
エスカレーターを駆け下りたり 駆け上がる
愚か者が減っただろうにと思う。安全とマナーが
同時に担保されたと思うが
ま 今更どうしようもないことなんですけどねハハハ


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